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長崎の思い出 [日記]
また時間があいてしまいました
相変わらずバタバタした毎日を送っていた我が家。
今年の夏は節電を徹底するとのことで、いつにない暑さを感じた毎日でした。
電気のありがたみや、日頃当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったことを改めて感じ、仕事が大変だとか、育児が大変なんてことは全然小さなことなんだ…」と目の前のことに振り回される自分にちょっと反省です。
夏休みは事情があって遠出の出来ない我が家にも、ちょっと遅い夏休みがやって来ました。
今年も旅行に行ってきました。
長崎です
娘達に、自分が生まれ育った国でかつてどんなことが起こったのか、
戦争や原爆の恐ろしさを教えてあげたいとの気持ちで、4年前の沖縄、昨年の広島に続き3回目の旅行先になります。
ただ、今回の福島第一原発の事故で次女はともかく長女はその怖さが少しは分かってきたようです。
今回の楽しみは軍艦島
ネットで偶然知って以来、一度はこの目で見たいと思っていました。
ところが、旅行から10日ほど前に長女が発熱
何年ぶりだったでしょうか。
プールで鍛えてなかなか体調を崩すことのなかった娘が、39度前後の熱で5日間。歩けなくなっていました。
やっとレントゲン、血液検査で 「マイコプラズマ肺炎」との診断が
そりゃ熱も下がりませんよ…。
最初は炎天下で運動会の練習をしたからでしょう、なんて熱中症の診断だったのですから…
飛行機もキャンセル不可能な中、長崎には「どうしても行きたかった」娘の気合が入りました。
何とか前日に完治の診断
無事飛行機に乗れました。
平和祈念像
路面電車
路面電車は珍しくて、乗りまくってました。
出島、グラバー園、中華街などにも行きました。
眼鏡橋
降りてみたら、本当に眼鏡に見える
ハートの石を探し、娘が大喜びでした
長崎の夜景は、日本三大夜景の一つだそうですね。
夜景の見えるホテルに泊まり、本当に眠るのが惜しくてずっと窓から外を眺めていました…
長崎は、話には聞いていましたがとにかく坂が多くて大変です
地元の方に、あの坂の頂上に住んでいる方はどうやって毎日のぼるのかという素朴な疑問に、
「原付が多いですね~。長崎の原付のナンバーは5桁なんですよ~。」
と教えていただきました
それからちゃんぽん、ミルクセーキ(長崎のは皆シャーベット状と初めて知りました)、トルコライスなるものをいただきました。
そうそう、お刺身が美味しかったです~
内陸に住む私はなかなか新鮮なお刺身にはめぐり合えないのですが、新鮮なものをいただくことができました
さて、最終日の軍艦島ツアー。
台風が沖縄付近を迷走していまして、たどり着けるか微妙とのこと。
(船が出れば大丈夫かと思っていましたが、周辺の波の様子によって上陸できないこともあると言われました。)
私が今回お世話になったのは、こちらの船。
元々軍艦島にお住まいになっていた方がガイドをしてくださり、島の方が炭鉱でとても危険な仕事をなさっていたこと、どうやって島で生活をしていたか、最終的には国の政策転換で島を追われてしまい故郷を奪われた悲しみを詳細に語ってくださいました。
島には無事上陸。夏は台風が多いので上陸できる確率は60%だそうです。
そうそう簡単に来られる場所ではなかったので、本当に運がよかったです
しかしその喜びとは裏腹に、島には古くなった建物がかろうじて建っているという状況でした。
「軍艦島で起こったことは、今回の福島の方に起こったこととと重なる」というガイドさんの説明に言葉を失ってしまった私。
閉山になって今年でもう37年。
ずっと無人島のままでしたが、上陸が許可されて2年の間に20万人の方が訪れているそうです。
活気に溢れていた町に、人がいなくなるとこんなになってしまうのか…と切ない気持ちでいっぱいになりました。
まだ小さい娘達には、どう写っていたのでしょうか。
必死で目に焼き付けて、帰路につきました。
翌日から仕事、学校、保育園・・・(しかも2週連続運動会というのはつらかったですが未だに体調がすぐれません)もうこんな日程びっしりの旅行は無理かも
ただ、小さい子を連れての旅行はとても疲れますが、非日常を味わえるのが好きです。
行きは朝5時前に家を出て、二泊して夜は10時に帰宅・・・やっぱりきつかったかな
しかも、長崎滞在中にずっと沖縄付近を迷走していた台風、私達が関東へ戻るとそれを待っていたかのように速度を急に速め、関東直撃
電車は止まってしまうし、何てことでしょうか
最近の次女、相変わらず笑わせてくれます
「からあげ、(次女ちゃん)いきたいの~」←カラオケです。
「しらんぷりんしてね」(←知らんぷり)
「わたあげかってぇ~」( ←わたあめの間違いです)
長女はもっと笑えました
少し前にやっていた、某保険会社ア○ラックのCMを見て非常にお怒りの様子
「僕には 夢がある 希望がある そして ‘寿命がある~’」と歌ってるんだよ
酷いと思わないと。
・・・それはね、寿命じゃなくて、「持病」ですよ
そんな長女でしたが、公文で三年先を達成
オブジェをいただいてきました
国語と英語。
ここに、とっくにやめてしまった算数もあったらよかったのにね…とため息のハハでした
相変わらずバタバタした毎日を送っていた我が家。
今年の夏は節電を徹底するとのことで、いつにない暑さを感じた毎日でした。
電気のありがたみや、日頃当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったことを改めて感じ、仕事が大変だとか、育児が大変なんてことは全然小さなことなんだ…」と目の前のことに振り回される自分にちょっと反省です。
夏休みは事情があって遠出の出来ない我が家にも、ちょっと遅い夏休みがやって来ました。
今年も旅行に行ってきました。
長崎です
娘達に、自分が生まれ育った国でかつてどんなことが起こったのか、
戦争や原爆の恐ろしさを教えてあげたいとの気持ちで、4年前の沖縄、昨年の広島に続き3回目の旅行先になります。
ただ、今回の福島第一原発の事故で次女はともかく長女はその怖さが少しは分かってきたようです。
今回の楽しみは軍艦島
ネットで偶然知って以来、一度はこの目で見たいと思っていました。
ところが、旅行から10日ほど前に長女が発熱
何年ぶりだったでしょうか。
プールで鍛えてなかなか体調を崩すことのなかった娘が、39度前後の熱で5日間。歩けなくなっていました。
やっとレントゲン、血液検査で 「マイコプラズマ肺炎」との診断が
そりゃ熱も下がりませんよ…。
最初は炎天下で運動会の練習をしたからでしょう、なんて熱中症の診断だったのですから…
飛行機もキャンセル不可能な中、長崎には「どうしても行きたかった」娘の気合が入りました。
何とか前日に完治の診断
無事飛行機に乗れました。
平和祈念像
路面電車
路面電車は珍しくて、乗りまくってました。
出島、グラバー園、中華街などにも行きました。
眼鏡橋
降りてみたら、本当に眼鏡に見える
ハートの石を探し、娘が大喜びでした
長崎の夜景は、日本三大夜景の一つだそうですね。
夜景の見えるホテルに泊まり、本当に眠るのが惜しくてずっと窓から外を眺めていました…
長崎は、話には聞いていましたがとにかく坂が多くて大変です
地元の方に、あの坂の頂上に住んでいる方はどうやって毎日のぼるのかという素朴な疑問に、
「原付が多いですね~。長崎の原付のナンバーは5桁なんですよ~。」
と教えていただきました
それからちゃんぽん、ミルクセーキ(長崎のは皆シャーベット状と初めて知りました)、トルコライスなるものをいただきました。
そうそう、お刺身が美味しかったです~
内陸に住む私はなかなか新鮮なお刺身にはめぐり合えないのですが、新鮮なものをいただくことができました
さて、最終日の軍艦島ツアー。
台風が沖縄付近を迷走していまして、たどり着けるか微妙とのこと。
(船が出れば大丈夫かと思っていましたが、周辺の波の様子によって上陸できないこともあると言われました。)
私が今回お世話になったのは、こちらの船。
元々軍艦島にお住まいになっていた方がガイドをしてくださり、島の方が炭鉱でとても危険な仕事をなさっていたこと、どうやって島で生活をしていたか、最終的には国の政策転換で島を追われてしまい故郷を奪われた悲しみを詳細に語ってくださいました。
島には無事上陸。夏は台風が多いので上陸できる確率は60%だそうです。
そうそう簡単に来られる場所ではなかったので、本当に運がよかったです
しかしその喜びとは裏腹に、島には古くなった建物がかろうじて建っているという状況でした。
「軍艦島で起こったことは、今回の福島の方に起こったこととと重なる」というガイドさんの説明に言葉を失ってしまった私。
閉山になって今年でもう37年。
ずっと無人島のままでしたが、上陸が許可されて2年の間に20万人の方が訪れているそうです。
活気に溢れていた町に、人がいなくなるとこんなになってしまうのか…と切ない気持ちでいっぱいになりました。
まだ小さい娘達には、どう写っていたのでしょうか。
必死で目に焼き付けて、帰路につきました。
翌日から仕事、学校、保育園・・・(しかも2週連続運動会というのはつらかったですが未だに体調がすぐれません)もうこんな日程びっしりの旅行は無理かも
ただ、小さい子を連れての旅行はとても疲れますが、非日常を味わえるのが好きです。
行きは朝5時前に家を出て、二泊して夜は10時に帰宅・・・やっぱりきつかったかな
しかも、長崎滞在中にずっと沖縄付近を迷走していた台風、私達が関東へ戻るとそれを待っていたかのように速度を急に速め、関東直撃
電車は止まってしまうし、何てことでしょうか
最近の次女、相変わらず笑わせてくれます
「からあげ、(次女ちゃん)いきたいの~」←カラオケです。
「しらんぷりんしてね」(←知らんぷり)
「わたあげかってぇ~」( ←わたあめの間違いです)
長女はもっと笑えました
少し前にやっていた、某保険会社ア○ラックのCMを見て非常にお怒りの様子
「僕には 夢がある 希望がある そして ‘寿命がある~’」と歌ってるんだよ
酷いと思わないと。
・・・それはね、寿命じゃなくて、「持病」ですよ
そんな長女でしたが、公文で三年先を達成
オブジェをいただいてきました
国語と英語。
ここに、とっくにやめてしまった算数もあったらよかったのにね…とため息のハハでした
東日本大震災とその後。 [日記]
3月11日に起きた、東日本大震災。
東北から離れた場所にある関東の我が家も、混乱しました。
私と夫はそれぞれの職場で勤務中。
長女は学校で下校寸前の時刻。
次女は保育園でちょうど午睡から目覚めるころだったといいます。
とにかく私の仕事は一年で一番の繁忙期で、仕事をこなすので精一杯という瞬間に起きました。
最初は揺れてる??というくらいだったのが、
どんどんひどくなり、長い長い揺れで座っていることができなくなりました。
その後、携帯でチェックした同僚から、
「宮城県、震度7!」との言葉。
親戚が仙台にたくさんいます。
自分が誕生した地で尋常ではないことが起きている。
親戚の無事と家族の無事が心配になった私は、こなしてもなくならない仕事に集中できないくらい取り乱していました。
それから何度も大きな揺れが続きます。
夫の携帯、母が来てくれている筈の自宅に電話をしても、一向につながりません。
不安のまま食堂のテレビを見に行くと、東北を襲う津波の映像が流れていました。
綺麗に整地された畑、家々を容赦なく襲う津波。
自然の力の下では、人間は本当になすすべがないものだということを思い知らされました。
それからどれくらいたったでしょうか。
何度もかけ続けた固定電話で、やっと母につながりました。
長女はいつもより遅くなりながらも、無事家に着いたこと。
家は多少食器が割れてしまったが、大きな被害もなく無事でいること。
「今日のくもんはどうするの~」と聞いてくる長女の声に安堵した私は、苦笑いをしながらも
「今日はいかなくていいから、家でおとなしくして待ってて。」と電話を切りました。
4時ごろには、保育園への連絡もつきました。
「出来るだけ早く迎えに来てください。」とのことでした。
夫ともメールがつながり無事を確認。
しかし急いで保育園にかけつけなければならない私に問題勃発!
電車が動いていませんでした。
タクシー乗り場もすごい行列。
諦めて、電車&徒歩で1時間かかる道を、パンプスを履きながら歩き出しました。
途中で運動靴を買おうと、店に入ろうとしましたが、地震の影響で臨時休業。
歩くしかないか・・・と1時間ほど歩いたときでした。
通り沿いに、自転車店を発見
「26インチ、ギアつき」という条件で無事自転車をゲット。
さっそく走り出します。
しかし距離が距離だけにつらい…アップダウンの多い道を何度もリタイアしそうになりながら、20㌔の道を飛ばしました。
保育園についたのは夜の7時ごろ。
娘に会えたことで本当にほっとしましたが、すでに足は筋肉痛で。
近所も停電していて、真っ暗な場所が数多くありました。
「帰宅難民」というものを、まさか自分が経験してしまうとは思いもしませんでした。
夫は5時間半かけて、歩いて帰ってきました。
私が「子供たちは私に任せて、どこかで休んでいて」というメールを何度も送っていたのですが、届かず歩き出してしまっていたのです。
電話は最後までつながらないし、メールはそんな感じだし、ソ○トバンクは・・・
その後、ニュースを見ていると、津波の被害、原発の被害など次々に明らかになってきました。
亡くなられた方、大きな被害を受けられた方が沢山いらっしゃって、本当に言葉がみつかりません。
仙台の親戚は3日後に全員の無事を確認できましたが、やはり生活は大変なようでした。
計画停電の実施、頻繁に起きる余震、満足に食材が手に入らない中で急な保育園の弁当持参と、3月は本当に必死でした。
長女も落ち着いて勉強、という雰囲気でもありませんでした。
次女も地震が怖くて先に一人で寝ることができなくなってしまいました。
親がこんなに慌てているのですから、無理もないことだと思います。
こんな状況で娘に不安を与えてしまう私は、母親としてまだまだ未熟です。
そんな風に毎日を送っている私のもとに、もうひとつ悲しい知らせが届きました。
一緒に研修生活を送った、同い年の友人が病気で亡くなってしまいました。
去年の秋、検査の数値が悪いと緊急入院。
きっと良くなると信じていたのに、あまりにも急でした。
彼の分まで、私も後悔しない人生を送ろうと思います。
そして震災以来、まとまった休みがとれたGW
マジックショーに誘われ、行ってきました。
久しぶりに笑った気がします。
娘がマジックのお手伝いをして、いただいてきたバルーンアート。
(ただ箱を持っていただけですが・・・)
いつも、どんなときも娘たちには不安を与えない母であり続けたい。
そう思ったこの春の出来事でした。
東北から離れた場所にある関東の我が家も、混乱しました。
私と夫はそれぞれの職場で勤務中。
長女は学校で下校寸前の時刻。
次女は保育園でちょうど午睡から目覚めるころだったといいます。
とにかく私の仕事は一年で一番の繁忙期で、仕事をこなすので精一杯という瞬間に起きました。
最初は揺れてる??というくらいだったのが、
どんどんひどくなり、長い長い揺れで座っていることができなくなりました。
その後、携帯でチェックした同僚から、
「宮城県、震度7!」との言葉。
親戚が仙台にたくさんいます。
自分が誕生した地で尋常ではないことが起きている。
親戚の無事と家族の無事が心配になった私は、こなしてもなくならない仕事に集中できないくらい取り乱していました。
それから何度も大きな揺れが続きます。
夫の携帯、母が来てくれている筈の自宅に電話をしても、一向につながりません。
不安のまま食堂のテレビを見に行くと、東北を襲う津波の映像が流れていました。
綺麗に整地された畑、家々を容赦なく襲う津波。
自然の力の下では、人間は本当になすすべがないものだということを思い知らされました。
それからどれくらいたったでしょうか。
何度もかけ続けた固定電話で、やっと母につながりました。
長女はいつもより遅くなりながらも、無事家に着いたこと。
家は多少食器が割れてしまったが、大きな被害もなく無事でいること。
「今日のくもんはどうするの~」と聞いてくる長女の声に安堵した私は、苦笑いをしながらも
「今日はいかなくていいから、家でおとなしくして待ってて。」と電話を切りました。
4時ごろには、保育園への連絡もつきました。
「出来るだけ早く迎えに来てください。」とのことでした。
夫ともメールがつながり無事を確認。
しかし急いで保育園にかけつけなければならない私に問題勃発!
電車が動いていませんでした。
タクシー乗り場もすごい行列。
諦めて、電車&徒歩で1時間かかる道を、パンプスを履きながら歩き出しました。
途中で運動靴を買おうと、店に入ろうとしましたが、地震の影響で臨時休業。
歩くしかないか・・・と1時間ほど歩いたときでした。
通り沿いに、自転車店を発見
「26インチ、ギアつき」という条件で無事自転車をゲット。
さっそく走り出します。
しかし距離が距離だけにつらい…アップダウンの多い道を何度もリタイアしそうになりながら、20㌔の道を飛ばしました。
保育園についたのは夜の7時ごろ。
娘に会えたことで本当にほっとしましたが、すでに足は筋肉痛で。
近所も停電していて、真っ暗な場所が数多くありました。
「帰宅難民」というものを、まさか自分が経験してしまうとは思いもしませんでした。
夫は5時間半かけて、歩いて帰ってきました。
私が「子供たちは私に任せて、どこかで休んでいて」というメールを何度も送っていたのですが、届かず歩き出してしまっていたのです。
電話は最後までつながらないし、メールはそんな感じだし、ソ○トバンクは・・・
その後、ニュースを見ていると、津波の被害、原発の被害など次々に明らかになってきました。
亡くなられた方、大きな被害を受けられた方が沢山いらっしゃって、本当に言葉がみつかりません。
仙台の親戚は3日後に全員の無事を確認できましたが、やはり生活は大変なようでした。
計画停電の実施、頻繁に起きる余震、満足に食材が手に入らない中で急な保育園の弁当持参と、3月は本当に必死でした。
長女も落ち着いて勉強、という雰囲気でもありませんでした。
次女も地震が怖くて先に一人で寝ることができなくなってしまいました。
親がこんなに慌てているのですから、無理もないことだと思います。
こんな状況で娘に不安を与えてしまう私は、母親としてまだまだ未熟です。
そんな風に毎日を送っている私のもとに、もうひとつ悲しい知らせが届きました。
一緒に研修生活を送った、同い年の友人が病気で亡くなってしまいました。
去年の秋、検査の数値が悪いと緊急入院。
きっと良くなると信じていたのに、あまりにも急でした。
彼の分まで、私も後悔しない人生を送ろうと思います。
そして震災以来、まとまった休みがとれたGW
マジックショーに誘われ、行ってきました。
久しぶりに笑った気がします。
娘がマジックのお手伝いをして、いただいてきたバルーンアート。
(ただ箱を持っていただけですが・・・)
いつも、どんなときも娘たちには不安を与えない母であり続けたい。
そう思ったこの春の出来事でした。
次女の股関節脱臼その後~5歳&長女の一年 [股関節脱臼]
あっという間に2010年も終わってしまい・・・
昨年は1回しかブログを書けなかったのですね
相変わらず毎日バタバタの我が家。
それでもなんとか数年ぶりに旅行へ行くことができました
念願だった、広島、宮島旅行です。
次女は宮島の鳥居を見て
「とりだ~ 」
と大はしゃぎ。
戦争について、学校でも勉強したよという長女は広島で起こったことも多少は理解できたようでした。
平和な時代に生まれてこられたことに感謝しています。
宮島で乗ったロープウェイは高所恐怖症の私にとってトラウマになりそうな怖さでしたが、
頂上から見た瀬戸内海の景色は今まで見たことのないくらい美しいものでした。
満潮になった夜。
鳥居をくぐる遊覧船に乗り、お祈りをしてきました。
「家族みんなが、健康で幸せに暮らせますように」
そして。
5歳になった次女は股関節脱臼の診察へ。
この年齢で、手術が必要かどうか見極めることになるそうですが…。
病院のHPによると、ここではCE角というものが15度を超えることが望ましいとなっています。
レントゲンを撮ったうちの娘はなんと
6度・・・
しかも脱臼した足ではないそうで・・・
これって、手術ってことですか??
半年後また診察ということになりましたが、そんな短期間に改善するとは思えません。
わらをもつかむ思いで、背を伸ばすには、骨を成長させるにはどうすれば良いかネットで調べまくる私・・・。
何かいい方法があったら、教えていただきたいものです。
娘にそんなことが起こったら、せっかく背泳ぎまでいったスイミングもなにもかも中断です(涙)。
歩けなくなるので、リハビリもかなり時間がかかるんだろうなあ。
仕事を休んで遠方の病院での付き添いも・・・。
最悪の事態だけは避けたいと娘の幸せを願いつつ、最善の方法を日々模索しながら検査の日を待ちたいと思います。
それまでには絶対によくなりますように
いつも元気に飛び回っている次女の足が悪いなんて、誰も信じてくれないのですが・・・。
さて、我が家の長女。
この一年、習い事もがんばりました。
大変だったけれど、無事英検4級に合格
公文は算数をリタイアし(こんなに早くからリタイアしないでほしい…)国語と英語。
上位進度者のつどいに、このままいけば参加できそうです。
日々の積み重ねの大きさに、今更ながら感心してしまいます。
プールもあとひとつ、タイムをクリアすれば終わりです
この壁が一番高いのですが…。
働く母は、過労死寸前(私だけ?)
仕事や育児、子供をめぐる母親としての付き合いに、つらくてつらくてくじけそうになりながら歯を食いしばって生きている毎日です
でもね、娘たちがいるからこそ、貧血だろうが低血圧だろうが(←会社の健康診断で引っかかった)血液検査の値が標準とはずれていようが、慢性的な睡眠不足だろうが頑張れる
だから、もうちょっと母親に向かって毒ばかり吐くのは抑えてね
疲れたカラダにとってもこたえるから・・・
昨年は1回しかブログを書けなかったのですね
相変わらず毎日バタバタの我が家。
それでもなんとか数年ぶりに旅行へ行くことができました
念願だった、広島、宮島旅行です。
次女は宮島の鳥居を見て
「とりだ~ 」
と大はしゃぎ。
戦争について、学校でも勉強したよという長女は広島で起こったことも多少は理解できたようでした。
平和な時代に生まれてこられたことに感謝しています。
宮島で乗ったロープウェイは高所恐怖症の私にとってトラウマになりそうな怖さでしたが、
頂上から見た瀬戸内海の景色は今まで見たことのないくらい美しいものでした。
満潮になった夜。
鳥居をくぐる遊覧船に乗り、お祈りをしてきました。
「家族みんなが、健康で幸せに暮らせますように」
そして。
5歳になった次女は股関節脱臼の診察へ。
この年齢で、手術が必要かどうか見極めることになるそうですが…。
病院のHPによると、ここではCE角というものが15度を超えることが望ましいとなっています。
レントゲンを撮ったうちの娘はなんと
6度・・・
しかも脱臼した足ではないそうで・・・
これって、手術ってことですか??
半年後また診察ということになりましたが、そんな短期間に改善するとは思えません。
わらをもつかむ思いで、背を伸ばすには、骨を成長させるにはどうすれば良いかネットで調べまくる私・・・。
何かいい方法があったら、教えていただきたいものです。
娘にそんなことが起こったら、せっかく背泳ぎまでいったスイミングもなにもかも中断です(涙)。
歩けなくなるので、リハビリもかなり時間がかかるんだろうなあ。
最悪の事態だけは避けたいと娘の幸せを願いつつ、最善の方法を日々模索しながら検査の日を待ちたいと思います。
それまでには絶対によくなりますように
いつも元気に飛び回っている次女の足が悪いなんて、誰も信じてくれないのですが・・・。
さて、我が家の長女。
この一年、習い事もがんばりました。
大変だったけれど、無事英検4級に合格
公文は算数をリタイアし(こんなに早くからリタイアしないでほしい…)国語と英語。
上位進度者のつどいに、このままいけば参加できそうです。
日々の積み重ねの大きさに、今更ながら感心してしまいます。
プールもあとひとつ、タイムをクリアすれば終わりです
この壁が一番高いのですが…。
働く母は、過労死寸前(私だけ?)
仕事や育児、子供をめぐる母親としての付き合いに、つらくてつらくてくじけそうになりながら歯を食いしばって生きている毎日です
でもね、娘たちがいるからこそ、貧血だろうが低血圧だろうが(←会社の健康診断で引っかかった)血液検査の値が標準とはずれていようが、慢性的な睡眠不足だろうが頑張れる
だから、もうちょっと母親に向かって毒ばかり吐くのは抑えてね
疲れたカラダにとってもこたえるから・・・
上の子の役員ももうすぐ卒業です [日記]
気がついてみたら、もう三月です
仕事や役員や子供の習い事に振り回され続けた一年でしたが
春から長女も小学校三年生、次女は年中です。
この一年は、本当に目の回る忙しさでした。
うっかり学校と子ども会の役員を掛け持ちしてしまい、本当に土日のない日々…
学校の役員はそれほど大変ではなかったけれど、子ども会が
先日、二回の役員経験者に言われた言葉。
「一度やると、二度とやりたくないと思うでしょ」
・・・まさにそのとおりでした。
次女がいるのであと一回、近所に子どもが少なければもう一回かもしれない・・・
最近長女がはまっているのがキッザニア。
親は付き合って行くだけでへとへとになってしまうのですが子供にとっては魅力らしいです
ファッションモデルになってみたり・・・
救急隊になって窓を修理してみたり
スイミングは相変わらず続けています。
50mのタイムを縮めるのに必死ですが、いつまで続くんだろう・・・
というか、全て合格出来る日は来るのでしょうか。
あとは二回目のピアノの発表会もありました。
「トルコ行進曲を弾きたい」といって、先生を困らせていたっけ。
身長も130㎝を突破し、私が追い越される日はそう遠くないかも。
次女は相変わらずですが、だいぶしっかりしてきました。
秋に保育園で「芋煮会」があったのですが、その前日。
「ママ~ あしたほーくえんでいもほりがあるから、しゃべるとばけつもってくの~ わすれないでね 」
(私と長女)「えいもほりは年中以上だよね? 行事予定を見ると明日は芋煮会だから、掘らないよ。いらないよ。しかもバケツなんてないし」
「おいもほって、つくってたべるんだよ。もってくの~」
と譲りません。
仕方なく保育園に確認の電話ですよ・・・
園での様子を聞くと、いもほりと間違えた子がいて、「いもほりはバケツとシャベルが必要だよね」と話したのでそこを混同したのではないかとのこと。
先生、うちの子は混乱するのでいもほりでないことだけ伝えてください・・・
親の言うことは信じず、先生の言うことは絶対で聞き漏らすまいと必死な次女です。
時々誤変換しますが。
先生にも、「言葉だけで伝えても、お母さんの話を聞くとちゃんとおうちで話せているんですね~しっかりしてきましたねえ」と。
でもまだまだ誤変換は続きます。
身長、体重を書いた成長の記録。
毎回数値を確認して、印鑑を押し園に戻していたのですが、最後の記録が書かれたものをもらってきた次女。
印鑑の欄は当然最後なので返す必要もなく斜線が引かれています。
なのにです。
「はんこおしてほーくえんにもっていくようにせんせいにいわれたから、次女ちゃん押してもってくね~」
いくら必要ないと言っても聞かない頑固な次女(頑固さは長女譲り・・・)。
逆らう元気もないので、斜線の上にはんこを押して、先生に説明してもらいます。
本当に、先生の言うことだけは、聞くんです。
・・・困ったものです。
春になれば役員もとりあえず終了。
少しは時間の余裕もできるかな・・・ブログも更新できるかな・・・なんて思っています
~追記~
次女の名誉のために記しておきます。
再提出はいらないと思っていた成長の記録ですが、先生から提出するように言われたのは本当だったようです
先生は、一度渡したあと、園で記録をとっておきたいと思ったとのこと。
やはり先生に、「次女ちゃんはすごい~」と再びほめられ・・・。
「本当だったんだね、ごめんね」と謝る私に・・・
「だからいるっていったじゃん」と妙に乾いた返事が返ってきました
いやいや、こんな次女でしたが親も知らないうちに進化を遂げているようです
仕事や役員や子供の習い事に振り回され続けた一年でしたが
春から長女も小学校三年生、次女は年中です。
この一年は、本当に目の回る忙しさでした。
うっかり学校と子ども会の役員を掛け持ちしてしまい、本当に土日のない日々…
学校の役員はそれほど大変ではなかったけれど、子ども会が
先日、二回の役員経験者に言われた言葉。
「一度やると、二度とやりたくないと思うでしょ」
・・・まさにそのとおりでした。
次女がいるのであと一回、近所に子どもが少なければもう一回かもしれない・・・
最近長女がはまっているのがキッザニア。
親は付き合って行くだけでへとへとになってしまうのですが子供にとっては魅力らしいです
ファッションモデルになってみたり・・・
救急隊になって窓を修理してみたり
スイミングは相変わらず続けています。
50mのタイムを縮めるのに必死ですが、いつまで続くんだろう・・・
というか、全て合格出来る日は来るのでしょうか。
あとは二回目のピアノの発表会もありました。
「トルコ行進曲を弾きたい」といって、先生を困らせていたっけ。
身長も130㎝を突破し、私が追い越される日はそう遠くないかも。
次女は相変わらずですが、だいぶしっかりしてきました。
秋に保育園で「芋煮会」があったのですが、その前日。
「ママ~ あしたほーくえんでいもほりがあるから、しゃべるとばけつもってくの~ わすれないでね 」
(私と長女)「えいもほりは年中以上だよね? 行事予定を見ると明日は芋煮会だから、掘らないよ。いらないよ。しかもバケツなんてないし」
「おいもほって、つくってたべるんだよ。もってくの~」
と譲りません。
仕方なく保育園に確認の電話ですよ・・・
園での様子を聞くと、いもほりと間違えた子がいて、「いもほりはバケツとシャベルが必要だよね」と話したのでそこを混同したのではないかとのこと。
先生、うちの子は混乱するのでいもほりでないことだけ伝えてください・・・
親の言うことは信じず、先生の言うことは絶対で聞き漏らすまいと必死な次女です。
時々誤変換しますが。
先生にも、「言葉だけで伝えても、お母さんの話を聞くとちゃんとおうちで話せているんですね~しっかりしてきましたねえ」と。
でもまだまだ誤変換は続きます。
身長、体重を書いた成長の記録。
毎回数値を確認して、印鑑を押し園に戻していたのですが、最後の記録が書かれたものをもらってきた次女。
印鑑の欄は当然最後なので返す必要もなく斜線が引かれています。
なのにです。
「はんこおしてほーくえんにもっていくようにせんせいにいわれたから、次女ちゃん押してもってくね~」
いくら必要ないと言っても聞かない頑固な次女(頑固さは長女譲り・・・)。
逆らう元気もないので、斜線の上にはんこを押して、先生に説明してもらいます。
本当に、先生の言うことだけは、聞くんです。
・・・困ったものです。
春になれば役員もとりあえず終了。
少しは時間の余裕もできるかな・・・ブログも更新できるかな・・・なんて思っています
~追記~
次女の名誉のために記しておきます。
再提出はいらないと思っていた成長の記録ですが、先生から提出するように言われたのは本当だったようです
先生は、一度渡したあと、園で記録をとっておきたいと思ったとのこと。
やはり先生に、「次女ちゃんはすごい~」と再びほめられ・・・。
「本当だったんだね、ごめんね」と謝る私に・・・
「だからいるっていったじゃん」と妙に乾いた返事が返ってきました
いやいや、こんな次女でしたが親も知らないうちに進化を遂げているようです
夏の思い出♪ [日記]
あっという間にもう9月です。
今年もあと4か月を切ってしまいました。
年をとると時間が早く感じられるといいますが、年々実感しています
この間、家族皆元気に暮らしていました。(細かいことはいろいろありますが)
学校の役員も、子ども会の役員も相変わらずです。
子ども会にいたっては、行事が終わってから「お疲れ様~」と役員同士で食事に行ったりと、
忙しく、また人間関係など大変ではありますが気の合う仲間を見つけ楽しくやっています。
そんな中、たった3日の夏休みにちょっとお出かけをしてきました
新宿駅にて・・・
こんな電車を発見
というのも、カメラを持った沢山の人が撮影しています。
鉄道が大好きな方たちのようです。
「なんだろう もしかして、珍しい電車なのかな 」
と我々も撮った後近づいてみると何だかちょっとレトロな感じ・・・
もしかして、古い電車なのかねえ?
と話していたら、それが私達の乗る電車でした
確かに古そうでしたが、乗り心地はよかったですよ
もう8歳と3歳になった二人の娘達。
あと何回家族で出かけられるのかな
そのうち、一緒に出かけるのも嫌だと言い出すのかな
長女は、今回乗馬をしてきました。
その辺を一周してくるだけですが・・・
ここで朝とれたばかりの牛乳も飲んできました。
美味しかったです。
毎日様々なことがあります。
子どものこと、仕事のこと・・・
本当に毎日がいっぱいいっぱい。
そんな中、ほんのちょっとだけ、気分転換ができた様な気がします。
フィギュアスケート選手の井上怜奈さんという方がいます。
私は彼女がシングルでオリンピックに出た時からテレビで見ていたのですが(かれこれ15年も前)
いつの間にかアメリカ代表でペアの選手としてスケートを続けていたのですね。
しばらく見なくなっていた間に、お父さんを癌で亡くされ、
自分自身も癌にかかり、アメリカで闘病。
アメリカではアルバイトをしながら練習を続けていたそうです。
ペアのパートナーで恋人だったボルドウィン氏にオリンピックを経験させてあげたいからと
アメリカ国籍を取得、トリノオリンピックへ出場。
史上初のスロートリプルアクセルを成功させました。
少し前、CMに出ていた彼女は
「いいときも、悪いときも、人生を楽しんでいたいです」
そう話していました。
私もそうありたいな、と思います。
これがなかなか難しいのですが
今年もあと4か月を切ってしまいました。
年をとると時間が早く感じられるといいますが、年々実感しています
この間、家族皆元気に暮らしていました。(細かいことはいろいろありますが)
学校の役員も、子ども会の役員も相変わらずです。
子ども会にいたっては、行事が終わってから「お疲れ様~」と役員同士で食事に行ったりと、
忙しく、また人間関係など大変ではありますが気の合う仲間を見つけ楽しくやっています。
そんな中、たった3日の夏休みにちょっとお出かけをしてきました
新宿駅にて・・・
こんな電車を発見
というのも、カメラを持った沢山の人が撮影しています。
鉄道が大好きな方たちのようです。
「なんだろう もしかして、珍しい電車なのかな 」
と我々も撮った後近づいてみると何だかちょっとレトロな感じ・・・
もしかして、古い電車なのかねえ?
と話していたら、それが私達の乗る電車でした
確かに古そうでしたが、乗り心地はよかったですよ
もう8歳と3歳になった二人の娘達。
あと何回家族で出かけられるのかな
そのうち、一緒に出かけるのも嫌だと言い出すのかな
長女は、今回乗馬をしてきました。
その辺を一周してくるだけですが・・・
ここで朝とれたばかりの牛乳も飲んできました。
美味しかったです。
毎日様々なことがあります。
子どものこと、仕事のこと・・・
本当に毎日がいっぱいいっぱい。
そんな中、ほんのちょっとだけ、気分転換ができた様な気がします。
フィギュアスケート選手の井上怜奈さんという方がいます。
私は彼女がシングルでオリンピックに出た時からテレビで見ていたのですが(かれこれ15年も前)
いつの間にかアメリカ代表でペアの選手としてスケートを続けていたのですね。
しばらく見なくなっていた間に、お父さんを癌で亡くされ、
自分自身も癌にかかり、アメリカで闘病。
アメリカではアルバイトをしながら練習を続けていたそうです。
ペアのパートナーで恋人だったボルドウィン氏にオリンピックを経験させてあげたいからと
アメリカ国籍を取得、トリノオリンピックへ出場。
史上初のスロートリプルアクセルを成功させました。
少し前、CMに出ていた彼女は
「いいときも、悪いときも、人生を楽しんでいたいです」
そう話していました。
私もそうありたいな、と思います。
これがなかなか難しいのですが
「小1の壁」は続くよどこまでも~♪ [育児]
長女が小学校に上がって一年が過ぎました。
無事2年生になり、毎日元気に学校へ通っています
さて、前回のブログではいかに小1が大変かを語りましたが
まだまだ甘かったですね…
今年は「子ども会役員」と「学校の役員」が降りかかってきましたよ。
「子ども会」は、地域によって違いますが私の住んでいる地域は強制加入とのこと。
そして、役員も通学班ごとに擁立しなければならず…。
何かと行事があり、休みの日も普通に仕事をしているようです…。
「学校の役員」。これも必ず子供一人につき一回はやってくださいとのことで、なら仕方ない(笑)と引き受けました。
毎月のように、平日午前中にある会合…。
有休だって、限られています。働くなといわれているのかと。
…改めて真剣に思いました。これでは少子化はなくならない…
次女の時にも、同じこと繰り返すのかと思うと。
さて、役員はさておき仕事にも本格的に取り組めるようになってきました。
体調を崩したりず~っと落ち込むことが多かったので、こんな本を読んでいました。
全ては自分の思いがいろいろな結果を引き起こしていると。
嫌なことは自分への試練なので、耐えること…そんな感じのことが書いてあります
まだまだ未熟な私です。
もっと大らかな人間になれたらいいなと思っています
さて、いつも笑わせてくれる我が家の次女。
どうにかプールも少しずつ慣れてきました。
ある時、慌てたのでしょうか。
「あ、ママ、おへよう」と布団から起き上がり朝の挨拶
意外とマイペースに思えた次女ですが、どうも私の心の状態に合わせて体調を崩すんですね。
夫の実家への帰省でイライラしていたり、仕事のことで心穏やかではなかった時。
敏感に思えた長女には、こんなことなかったですよ・・・
大人がもっと大人にならないとと、反省させられてしまいました。
(追加) 次女が先日歌っていました。
やねよ~り~ た~か~い こいの~ぼ~り~♪
おおきい 「ながい~」は おとう~さ~ん~♪
ちいさ~い 「ひろい~」は こども~た~ち~♪
おもし~ろそうに およい~で~る~♪
面白いのはこいのぼりでなく、歌っているあなたです
無事2年生になり、毎日元気に学校へ通っています
さて、前回のブログではいかに小1が大変かを語りましたが
まだまだ甘かったですね…
今年は「子ども会役員」と「学校の役員」が降りかかってきましたよ。
「子ども会」は、地域によって違いますが私の住んでいる地域は強制加入とのこと。
そして、役員も通学班ごとに擁立しなければならず…。
何かと行事があり、休みの日も普通に仕事をしているようです…。
「学校の役員」。これも必ず子供一人につき一回はやってくださいとのことで、なら仕方ない(笑)と引き受けました。
毎月のように、平日午前中にある会合…。
有休だって、限られています。働くなといわれているのかと。
…改めて真剣に思いました。これでは少子化はなくならない…
次女の時にも、同じこと繰り返すのかと思うと。
さて、役員はさておき仕事にも本格的に取り組めるようになってきました。
体調を崩したりず~っと落ち込むことが多かったので、こんな本を読んでいました。
全ては自分の思いがいろいろな結果を引き起こしていると。
嫌なことは自分への試練なので、耐えること…そんな感じのことが書いてあります
まだまだ未熟な私です。
もっと大らかな人間になれたらいいなと思っています
さて、いつも笑わせてくれる我が家の次女。
どうにかプールも少しずつ慣れてきました。
ある時、慌てたのでしょうか。
「あ、ママ、おへよう」と布団から起き上がり朝の挨拶
意外とマイペースに思えた次女ですが、どうも私の心の状態に合わせて体調を崩すんですね。
夫の実家への帰省でイライラしていたり、仕事のことで心穏やかではなかった時。
敏感に思えた長女には、こんなことなかったですよ・・・
大人がもっと大人にならないとと、反省させられてしまいました。
(追加) 次女が先日歌っていました。
やねよ~り~ た~か~い こいの~ぼ~り~♪
おおきい 「ながい~」は おとう~さ~ん~♪
ちいさ~い 「ひろい~」は こども~た~ち~♪
おもし~ろそうに およい~で~る~♪
面白いのはこいのぼりでなく、歌っているあなたです
「小1の壁」を振り返ってみました [育児]
私事ですが、仕事に復帰しました。
今は午前中仕事をし、午後から治療に通う生活をして完治を目指しています。
療養中は、通院&安静の生活でずっと家にいたらこんな生活になるのだろうなあという毎日。
働くことについて、色々考えるいい時間になりました。
思えば昨年の四月、長女が小学校に入学し生活は一変した我が家です。
よく「小1の壁」と言われ、働くお母さんが困難に直面するこの時期。
私なりに感じたことを、残しておこうと思います。
1.学童について
私が住んでいる地域では、夜は6時まで。
その代わり、迎えが必須となります。
もし6時までに迎えに来られない場合、一人で帰して何かが起きても親は文句を言わない...というようなニュアンスの念書を書かされました。
一人で帰る場合、5時に一斉下校がありますが、女の子の場合これをさせようとすると「暗い中、一人で帰しても大丈夫なのか?」と聞かれます。
とても親身でありがたいことなのですがそんなことを考えると不安になってくるので、結局一斉下校させることはありませんでした
また、近所で不審者が出没すると送迎が必須になります。
そういえば、ネットで殺害予告がでて解決するまでは送迎をと言われ、それが出来なくて学童を休ませ自宅待機なんてこともありました・・・なんだ、ひとりで留守番できるじゃない、という感じでしたが。
夏休みなど、学校が休みの時は8時半から9時までに登室させなければなりません。
しかも4月の入学式前などは、一週間親が付き添って連れてきてくださいと・・・
慣らし保育状態です
通勤の関係で私はその時間に連れていけなかったので、祖母が毎日朝からバスに乗って連れていってくれました。そしてその足でまた自宅に帰る祖母…
8時半より前に学童前で子供を待たせるのも禁止だそうです。
また、給食がない時は、お弁当を持たせなければなりませんでした。
夏休み前の給食終了後から、8月末までのお弁当作りはさすがに骨が折れました。
いつもギリギリまで寝ている派の私にとっては、拷問(笑)でした。
自治体によって、いろいろ差があるようですが遠距離通勤&フルタイム勤務ではこの条件はなかなかつらいものがありました。次女の育児で時短が取れたからなんとかここまで出来たものの、そうでなければ・・・といったレベルです。
2.学校について
基本的に通学班で登校するので、朝は心配することもありませんでした。
・・・が、いかんせん集合時間が遅いので30分出勤を遅らせる羽目に。
ここでも次女の時短が生きてきます。ありがとう、次女
私は同じ市内の出身なのですが、通学路の信号での「旗振り当番」なんて、初めて経験しましたよ…。
年三回も回ってきましたが、その度に1時間有給休暇を取ってました。
あとは地域パトロールのために、仕事を休んだことも。
保育園生活に慣れていたせいか、学校での色々な行事や図工の製作であれを持って行く、これを持っていく
というのには正直戸惑いました。
学校側も早めに言ってはくれるのですが、あまりにも量が多すぎて把握しきれないんです。
毎日沢山の連絡プリントを持ってくるので、目を通し忘れ物がないよう親も必死です(←うちだけ?)
クラスの役員、学校外の役員、こども会の役員、役員をしなくても必ずお手伝いで何かの行事に参加する… というのも大変です。
子供一人につき必ず一回ずつやってもらうことが地域の方針らしく、これを聞いて私は三人目の子供は無理だ・・・と確信してしまいました。
働いているお母さんが、ここでは少数派なので普通に参加できる方が多いみたいです。
逆の立場なら、私もきっとそう思うだろうと想像できるので納得せざるを得ないのですがやはり「仕事」は理由にならないのでちゃんとこなしてくれとのことです。
・・・でも殆どが平日の昼間召集だったりするんですね
保育園が同じだったお母さんも、小学校入学と同時に仕事を辞めたり資格があれば遠くのフルタイムの仕事を辞めて近くのパートに切り替える人も続出しました。
しかし、辞めたところで転職できるあてもない私。次女の時短を駆使しそのまま続けるしかありませんでした。
時短があっても精一杯の状態です。次女が就学したら、時短も取れなくなってしまいます。
私も「このままでいいのかな、ちゃんとやっていけるのかな・・・」と悩みながら仕事を続けていたので今回体調を崩したのかなあと反省しています。
私の場合、通勤が遠くなることを覚悟でこの場所に住まいを構えたのでちょっと失敗したかなと思いつつ
まあ起こったことは仕方がないのでどうすれば皆幸せに暮らせるかを第一に考えて生活していこうかと思います。
長女は私が家にいる方が何かと便利らしく「ママ~、仕事辞めて家にいてよ~」と言ってきますが
保育園大好きな次女が退園になってもかわいそうなのでもうちょっと体力の続く限り仕事は続けていこうかなと。
自分の工夫が足りない点も大きいのですが、もう少し働きながらの子育てに優しい社会になってくれることを願っています。
保育園に入園できないとか、学童のサービスももっと向上させてほしいとか色々ありますけれど(学校や地域の役員という負担も軽減できるとありがたい…)、景気悪化で小さな政府になるのではなくこういう時こそ子育てのための歳出を増やしてもらえればいいのかなと思います。
そうすれば、仕事を諦めたりパートに切り替えざるを得ない状況を改善し、フルタイムで働き続けることができて
将来的にも税収は上がるのではないかなあと。
長期的に見れば少子高齢化対策にもつながると思うんですけれどね。
何だか話がそれてしまいましたが、「小1の壁」は今度「小2の壁」になってまだまだ立ちはだかりそうです。
やはり私にとって「壁」は大変なものでした
親が四苦八苦している間に長女はもうすぐ二年生になります。
次女は年少。足の診察も、久しぶりに先生から「順調」と言っていただけました。
こんな感じでまたバタバタした毎日になりそうですが、家族皆が健康で生活できればいいな、と思っています。
今は午前中仕事をし、午後から治療に通う生活をして完治を目指しています。
療養中は、通院&安静の生活でずっと家にいたらこんな生活になるのだろうなあという毎日。
働くことについて、色々考えるいい時間になりました。
思えば昨年の四月、長女が小学校に入学し生活は一変した我が家です。
よく「小1の壁」と言われ、働くお母さんが困難に直面するこの時期。
私なりに感じたことを、残しておこうと思います。
1.学童について
私が住んでいる地域では、夜は6時まで。
その代わり、迎えが必須となります。
もし6時までに迎えに来られない場合、一人で帰して何かが起きても親は文句を言わない...というようなニュアンスの念書を書かされました。
一人で帰る場合、5時に一斉下校がありますが、女の子の場合これをさせようとすると「暗い中、一人で帰しても大丈夫なのか?」と聞かれます。
とても親身でありがたいことなのですがそんなことを考えると不安になってくるので、結局一斉下校させることはありませんでした
また、近所で不審者が出没すると送迎が必須になります。
そういえば、ネットで殺害予告がでて解決するまでは送迎をと言われ、それが出来なくて学童を休ませ自宅待機なんてこともありました・・・なんだ、ひとりで留守番できるじゃない、という感じでしたが。
夏休みなど、学校が休みの時は8時半から9時までに登室させなければなりません。
しかも4月の入学式前などは、一週間親が付き添って連れてきてくださいと・・・
慣らし保育状態です
通勤の関係で私はその時間に連れていけなかったので、祖母が毎日朝からバスに乗って連れていってくれました。そしてその足でまた自宅に帰る祖母…
8時半より前に学童前で子供を待たせるのも禁止だそうです。
また、給食がない時は、お弁当を持たせなければなりませんでした。
夏休み前の給食終了後から、8月末までのお弁当作りはさすがに骨が折れました。
いつもギリギリまで寝ている派の私にとっては、拷問(笑)でした。
自治体によって、いろいろ差があるようですが遠距離通勤&フルタイム勤務ではこの条件はなかなかつらいものがありました。次女の育児で時短が取れたからなんとかここまで出来たものの、そうでなければ・・・といったレベルです。
2.学校について
基本的に通学班で登校するので、朝は心配することもありませんでした。
・・・が、いかんせん集合時間が遅いので30分出勤を遅らせる羽目に。
ここでも次女の時短が生きてきます。ありがとう、次女
私は同じ市内の出身なのですが、通学路の信号での「旗振り当番」なんて、初めて経験しましたよ…。
年三回も回ってきましたが、その度に1時間有給休暇を取ってました。
あとは地域パトロールのために、仕事を休んだことも。
保育園生活に慣れていたせいか、学校での色々な行事や図工の製作であれを持って行く、これを持っていく
というのには正直戸惑いました。
学校側も早めに言ってはくれるのですが、あまりにも量が多すぎて把握しきれないんです。
毎日沢山の連絡プリントを持ってくるので、目を通し忘れ物がないよう親も必死です(←うちだけ?)
クラスの役員、学校外の役員、こども会の役員、役員をしなくても必ずお手伝いで何かの行事に参加する… というのも大変です。
子供一人につき必ず一回ずつやってもらうことが地域の方針らしく、これを聞いて私は三人目の子供は無理だ・・・と確信してしまいました。
働いているお母さんが、ここでは少数派なので普通に参加できる方が多いみたいです。
逆の立場なら、私もきっとそう思うだろうと想像できるので納得せざるを得ないのですがやはり「仕事」は理由にならないのでちゃんとこなしてくれとのことです。
・・・でも殆どが平日の昼間召集だったりするんですね
保育園が同じだったお母さんも、小学校入学と同時に仕事を辞めたり資格があれば遠くのフルタイムの仕事を辞めて近くのパートに切り替える人も続出しました。
しかし、辞めたところで転職できるあてもない私。次女の時短を駆使しそのまま続けるしかありませんでした。
時短があっても精一杯の状態です。次女が就学したら、時短も取れなくなってしまいます。
私も「このままでいいのかな、ちゃんとやっていけるのかな・・・」と悩みながら仕事を続けていたので今回体調を崩したのかなあと反省しています。
私の場合、通勤が遠くなることを覚悟でこの場所に住まいを構えたのでちょっと失敗したかなと思いつつ
まあ起こったことは仕方がないのでどうすれば皆幸せに暮らせるかを第一に考えて生活していこうかと思います。
長女は私が家にいる方が何かと便利らしく「ママ~、仕事辞めて家にいてよ~」と言ってきますが
保育園大好きな次女が退園になってもかわいそうなのでもうちょっと体力の続く限り仕事は続けていこうかなと。
自分の工夫が足りない点も大きいのですが、もう少し働きながらの子育てに優しい社会になってくれることを願っています。
保育園に入園できないとか、学童のサービスももっと向上させてほしいとか色々ありますけれど(学校や地域の役員という負担も軽減できるとありがたい…)、景気悪化で小さな政府になるのではなくこういう時こそ子育てのための歳出を増やしてもらえればいいのかなと思います。
そうすれば、仕事を諦めたりパートに切り替えざるを得ない状況を改善し、フルタイムで働き続けることができて
将来的にも税収は上がるのではないかなあと。
長期的に見れば少子高齢化対策にもつながると思うんですけれどね。
何だか話がそれてしまいましたが、「小1の壁」は今度「小2の壁」になってまだまだ立ちはだかりそうです。
やはり私にとって「壁」は大変なものでした
親が四苦八苦している間に長女はもうすぐ二年生になります。
次女は年少。足の診察も、久しぶりに先生から「順調」と言っていただけました。
こんな感じでまたバタバタした毎日になりそうですが、家族皆が健康で生活できればいいな、と思っています。
迷える母に振り向いてくれないポニョ??? [育児]
また久しぶりの更新です。
父が亡くなったこともあって夫と姑の配慮(?・・・)により、久しぶりに自分の実家で迎えた年末年始でした。
子供達を連れ夫は帰省し、私は母と妹と(おそらくこのメンバーで迎えたお正月は初めてだったはず)過ごしていました。
↑私がいなくても生きていける娘達…喜ぶべきか、悲しむべきか。
今まで忙しくてなかなか独りの時間がなかった私は、本当に父がいなくなったことを実感することが必要だった気がします。
私自身、認めたくなかったのが一番だったのだとは思いますが。
どうも父は私のことが一番心配らしく、先日も夢枕に立ってくれました。
母も妹もそこまで見ていない、と言います。
夢の中の父は私が過ごしている一日を、ずっと何も言わず近くで見守ってくれて。
その後場面は急変し、葬儀の場面に。
お坊さんの読経の中、母と妹と私が火葬場で泣いています。
火葬される直前でした。
棺から元気だった頃の父の顔が浮かび、こちらに手を振って姿を消しました。
ちょうどその前日、母と電話で「お父さんのことはなかなか割り切れないね・・・」と現実に話していたんです。
お正月を挟んでしまったこともあり、お坊さんと相談の上で四十九日法要は実際よりも遅れてすることになっていたのですがその時に夢の件をお話ししたところ、ちょうどその夢を見た日が四十九日目だったようなんです。
さすがにそれにはびっくりしました。
「よかったですね。お父さんも、無事向こうに行かれたということでしょうね。・・・で、霊感は強いんですか?」
「・・・霊感???昔金縛りにあったことはありますけれど・・・(←この程度の知識しかない私)。」
何をもって強いというのか、正直よく分かりませんでした。
とはいえ、父が無事成仏できたことは何よりです。
お父さん、くどいけれどいつまでも私達を見守っていてね。
私は妹が読んでいたこの漫画を学生時代から読み続けています。
死者の話が普通に出てくるのですが、改めて読むと考えさせられます。
そして、せっかく授かった自分の命を決して無駄にしてはいけないと・・・
そして、父の形見である結婚指輪をお守り代わりに先日長女は初めて水泳の大会に出場しました。
小さな大会でしたが、水泳が得意だった父に負けないくらい頑張っています。
今の私は体調を崩して病気休暇中なのですが、今後について迷うことばかりです。
大分回復してきたのでもう少ししたら復帰をと考えているのですが、ここしばらく家庭中心に生活してきたことから今までよりももっと家庭を重視して無理なく生きていくか、それとも仕事にウェイトをおいていくか・・・。
職場では色々な生き方をしている女性がいます。
子供を産まないことを選択した方、子供が小さい頃から育児を最小限にして男性と同じ道を歩んでいる人たち、子供が小さい頃はやむを得ず仕事をセーブし、大きくなったからと泊まりがけで仕事をしている方。
それから、子供最優先で昇進をあきらめた方…。
私は今子供にかなりの比重を置いていますが、仕事をあきらめてこのままその状態で終わればいいのか…
それとも今まで出来なかった分、子供には少し我慢して貰って仕事に打ち込むか・・・
もともと負けず嫌いで中途半端なことが大嫌いな私。
仕事だって本当は頑張りたいのが本音です。
時短をとって同期にどんどん置いていかれてしまっている今、本当にそれでいいのか迷っています。
子供達と一緒の時間が欲しい。習い事もちゃんとさせてあげたい。
でもそれには体力的にも時間的にもフルタイムを維持するのは難しい。
ああ、身体が2つ欲しい…いや、3つ(無理)
長女と同じだけのことを来年年少になる次女にもさせようとすると、我が家は生活が破綻しそうです。
でも親としてはちゃんとしてあげたいし…
このご時世なので、仕事があるだけでも本当にありがたいことなのですが、自分が本当に後悔しない生き方を未だ見出せずにいます。また1つ歳をとっちゃったのにね。
暗い話ばかりでしたが、↓のクリスマスプレゼントの後日談を。
次女の眠る枕元に、こっそりプレゼントを置いた私。
いつも「この子はお年寄りか?」と思うくらい早起きなので、朝の「ママー、アンパンマンがいるぅ~」という次女の歓声を楽しみに寝ました。
そして、その朝・・・
「ママー、起きよう」といつもと変わらない次女の声。
・・・あれ?プレゼントの反応は???と思い枕元を見ると、寝相の悪い次女に布団から追い出された枕が見事にプレゼントの上にのっかって、隠れてしまっています。
慌てた私は「あれ?枕の下に何かない?」と聞くと、
次女、「あ、アンパンマンだ(全然興味がない様子)・・・ねえ、起きよう?」
え、私達頑張ったのに、それだけですかぁ???
本当に、予想もつかない行動ばかり起こす次女です。
長女は夜中に一度起きて、プレゼントがあることを確認してまた眠りに落ちたとか・・・
同じ姉妹でここまで違いますか
しかもこの激しくドライな次女は、ポニョに似ている(と思い込んでいる親バカな私)せいか母性本能をくすぐってくれるのです。
夜中あまりにも可愛くて(ええ、相当な親バカです。認めます)、○○ちゃ~んと呼びながら頭をなでていると
明らかに迷惑そうに「もう~、早く寝なちゃいよ~やめてってば~ムニャムニャ・・・」とあっさりかわしてくれます。
こんな感じでまた一年、育児に仕事に家事に…夫に?振り回されて生きていくかと思います。
昨年までもブログを通じてお世話になった皆様、数少ない本音を語れるこの場で本年も引き続きよろしくお願いします。
父が亡くなったこともあって夫と姑の配慮(?・・・)により、久しぶりに自分の実家で迎えた年末年始でした。
子供達を連れ夫は帰省し、私は母と妹と(おそらくこのメンバーで迎えたお正月は初めてだったはず)過ごしていました。
↑私がいなくても生きていける娘達…喜ぶべきか、悲しむべきか。
今まで忙しくてなかなか独りの時間がなかった私は、本当に父がいなくなったことを実感することが必要だった気がします。
私自身、認めたくなかったのが一番だったのだとは思いますが。
どうも父は私のことが一番心配らしく、先日も夢枕に立ってくれました。
母も妹もそこまで見ていない、と言います。
夢の中の父は私が過ごしている一日を、ずっと何も言わず近くで見守ってくれて。
その後場面は急変し、葬儀の場面に。
お坊さんの読経の中、母と妹と私が火葬場で泣いています。
火葬される直前でした。
棺から元気だった頃の父の顔が浮かび、こちらに手を振って姿を消しました。
ちょうどその前日、母と電話で「お父さんのことはなかなか割り切れないね・・・」と現実に話していたんです。
お正月を挟んでしまったこともあり、お坊さんと相談の上で四十九日法要は実際よりも遅れてすることになっていたのですがその時に夢の件をお話ししたところ、ちょうどその夢を見た日が四十九日目だったようなんです。
さすがにそれにはびっくりしました。
「よかったですね。お父さんも、無事向こうに行かれたということでしょうね。・・・で、霊感は強いんですか?」
「・・・霊感???昔金縛りにあったことはありますけれど・・・(←この程度の知識しかない私)。」
何をもって強いというのか、正直よく分かりませんでした。
とはいえ、父が無事成仏できたことは何よりです。
お父さん、くどいけれどいつまでも私達を見守っていてね。
私は妹が読んでいたこの漫画を学生時代から読み続けています。
死と彼女とぼく ゆかり 10 (10) (講談社コミックスキス)
- 作者: 川口 まどか
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/01/13
- メディア: コミック
死者の話が普通に出てくるのですが、改めて読むと考えさせられます。
そして、せっかく授かった自分の命を決して無駄にしてはいけないと・・・
そして、父の形見である結婚指輪をお守り代わりに先日長女は初めて水泳の大会に出場しました。
小さな大会でしたが、水泳が得意だった父に負けないくらい頑張っています。
今の私は体調を崩して病気休暇中なのですが、今後について迷うことばかりです。
大分回復してきたのでもう少ししたら復帰をと考えているのですが、ここしばらく家庭中心に生活してきたことから今までよりももっと家庭を重視して無理なく生きていくか、それとも仕事にウェイトをおいていくか・・・。
職場では色々な生き方をしている女性がいます。
子供を産まないことを選択した方、子供が小さい頃から育児を最小限にして男性と同じ道を歩んでいる人たち、子供が小さい頃はやむを得ず仕事をセーブし、大きくなったからと泊まりがけで仕事をしている方。
それから、子供最優先で昇進をあきらめた方…。
私は今子供にかなりの比重を置いていますが、仕事をあきらめてこのままその状態で終わればいいのか…
それとも今まで出来なかった分、子供には少し我慢して貰って仕事に打ち込むか・・・
もともと負けず嫌いで中途半端なことが大嫌いな私。
仕事だって本当は頑張りたいのが本音です。
時短をとって同期にどんどん置いていかれてしまっている今、本当にそれでいいのか迷っています。
子供達と一緒の時間が欲しい。習い事もちゃんとさせてあげたい。
でもそれには体力的にも時間的にもフルタイムを維持するのは難しい。
ああ、身体が2つ欲しい…いや、3つ(無理)
長女と同じだけのことを来年年少になる次女にもさせようとすると、我が家は生活が破綻しそうです。
でも親としてはちゃんとしてあげたいし…
このご時世なので、仕事があるだけでも本当にありがたいことなのですが、自分が本当に後悔しない生き方を未だ見出せずにいます。また1つ歳をとっちゃったのにね。
暗い話ばかりでしたが、↓のクリスマスプレゼントの後日談を。
次女の眠る枕元に、こっそりプレゼントを置いた私。
いつも「この子はお年寄りか?」と思うくらい早起きなので、朝の「ママー、アンパンマンがいるぅ~」という次女の歓声を楽しみに寝ました。
そして、その朝・・・
「ママー、起きよう」といつもと変わらない次女の声。
・・・あれ?プレゼントの反応は???と思い枕元を見ると、寝相の悪い次女に布団から追い出された枕が見事にプレゼントの上にのっかって、隠れてしまっています。
慌てた私は「あれ?枕の下に何かない?」と聞くと、
次女、「あ、アンパンマンだ(全然興味がない様子)・・・ねえ、起きよう?」
え、私達頑張ったのに、それだけですかぁ???
本当に、予想もつかない行動ばかり起こす次女です。
長女は夜中に一度起きて、プレゼントがあることを確認してまた眠りに落ちたとか・・・
同じ姉妹でここまで違いますか
しかもこの激しくドライな次女は、ポニョに似ている(と思い込んでいる親バカな私)せいか母性本能をくすぐってくれるのです。
夜中あまりにも可愛くて(ええ、相当な親バカです。認めます)、○○ちゃ~んと呼びながら頭をなでていると
明らかに迷惑そうに「もう~、早く寝なちゃいよ~やめてってば~ムニャムニャ・・・」とあっさりかわしてくれます。
こんな感じでまた一年、育児に仕事に家事に…夫に?振り回されて生きていくかと思います。
昨年までもブログを通じてお世話になった皆様、数少ない本音を語れるこの場で本年も引き続きよろしくお願いします。
クリスマスプレゼント&自分にもプレゼント? [育児]
そろそろ、クリスマスの時期がやってきます。
毎年ケーキとプレゼント?が恒例になっている我が家ですが、今年は喪中ということもあり(←理由になっていませんが)何となくそういう気分になれずにいました。
「クリスマス、今年はパスしていいかなあ」
「それとこれとは別だろう」
と夫からの鋭い反撃が…
長女がサンタさんに欲しいものを注文するようになった頃からでしょうか。
プレゼント決定権は親にはなくなり、ト〇ザラスへおもちゃを選びに家族全員で出かけ子供の希望を聞いた後夫が子供と一緒にいる隙にこっそり私が目当てのものを買い車に忍ばせてから帰るという状況が続いていました。
昨日も例によってト〇ザラスへ出かけましたが、どこからこんなに人が出てくるのかと思うほどの混雑
もういっそのこと、子供達にサンタさんはいないと自覚してもらおうかと何度思ったことか…デビルいりなになっていました。
駐車場に入るのに一苦労、おもちゃを探すのに人をかきわけ、レジでは大混雑でうんざり。
次女は「プリンセスとプリクワ(プリキュア)~♪」と叫んでいたにも関わらず、あっさりアンパンマンに落ち着きました。
去年はこれです↓
今年はこれ↓
いつになったらアンパンマンから卒業できるのでしょう…家中アンパンマンだらけになってます
長女は予想通り、ここでは欲しいものが見つからず昨年同様ブーツを探しに二軒目のお店へ…
不審すぎる親の行動に、もうサンタの正体は私達だと気づいてるのではないかと思ってしまいますよ。
・・・というか、私ブーツ持っていないんですけれど…
どうにかプレゼントを用意できた私達。あとはクリスマスにプレゼントを置くだけです。
あとは、すっかり忘れていたケーキを手配しないと…
不景気といっても、子供に関する出費はなかなか減らせないものですね。
最近、日々の生活の合間ですが読書にはまっている私。
面白かったですよ~
山積みになっていたので、読んでみようと買ってきたら夫に「それは三作目だ」と言われ、最初の二冊を読んでやっとたどりつきました。
あとは、夜な夜な観ているレンタルDVD
主人公の女の子が可愛くて、学生でありながら探偵業もやってしまうところがすごいです
あとはこれです
シーズン1があっという間に終わってしまい、続きが気になるところです。
毎日バタバタしているのですが、それでも何かやっていないと落ち着かない状態が続いています。
こうして今年も終わってしまうのでしょうか。
色々な意味で忘れられない一年になってしまいましたが、そんな時だからこそ家族のありがたみを実感しました。
今まで子育てで自分の時間の大半を失い、何のためにここまで...と悩む日々でしたが今はその子供達のお陰で毎日過ごせているような気がします。
「じいちゃんに、かとりせんこう(お線香)あげにいく~」という次女の存在が大きく見えます(笑)。
祭壇に蚊取り線香が乗っているところを想像してしまいました
仏壇のない我が家。次女は保育園の庭にぶら下がっている蚊取り線香と混同したようです
毎年ケーキとプレゼント?が恒例になっている我が家ですが、今年は喪中ということもあり(←理由になっていませんが)何となくそういう気分になれずにいました。
「クリスマス、今年はパスしていいかなあ」
「それとこれとは別だろう」
と夫からの鋭い反撃が…
長女がサンタさんに欲しいものを注文するようになった頃からでしょうか。
プレゼント決定権は親にはなくなり、ト〇ザラスへおもちゃを選びに家族全員で出かけ子供の希望を聞いた後夫が子供と一緒にいる隙にこっそり私が目当てのものを買い車に忍ばせてから帰るという状況が続いていました。
昨日も例によってト〇ザラスへ出かけましたが、どこからこんなに人が出てくるのかと思うほどの混雑
もういっそのこと、子供達にサンタさんはいないと自覚してもらおうかと何度思ったことか…デビルいりなになっていました。
駐車場に入るのに一苦労、おもちゃを探すのに人をかきわけ、レジでは大混雑でうんざり。
次女は「プリンセスとプリクワ(プリキュア)~♪」と叫んでいたにも関わらず、あっさりアンパンマンに落ち着きました。
去年はこれです↓
今年はこれ↓
いつになったらアンパンマンから卒業できるのでしょう…家中アンパンマンだらけになってます
長女は予想通り、ここでは欲しいものが見つからず昨年同様ブーツを探しに二軒目のお店へ…
不審すぎる親の行動に、もうサンタの正体は私達だと気づいてるのではないかと思ってしまいますよ。
・・・というか、私ブーツ持っていないんですけれど…
どうにかプレゼントを用意できた私達。あとはクリスマスにプレゼントを置くだけです。
あとは、すっかり忘れていたケーキを手配しないと…
不景気といっても、子供に関する出費はなかなか減らせないものですね。
最近、日々の生活の合間ですが読書にはまっている私。
面白かったですよ~
山積みになっていたので、読んでみようと買ってきたら夫に「それは三作目だ」と言われ、最初の二冊を読んでやっとたどりつきました。
あとは、夜な夜な観ているレンタルDVD
ヴェロニカ・マーズ <ファースト・シーズン> Vol.1 [DVD]
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- メディア: DVD
主人公の女の子が可愛くて、学生でありながら探偵業もやってしまうところがすごいです
あとはこれです
シーズン1があっという間に終わってしまい、続きが気になるところです。
毎日バタバタしているのですが、それでも何かやっていないと落ち着かない状態が続いています。
こうして今年も終わってしまうのでしょうか。
色々な意味で忘れられない一年になってしまいましたが、そんな時だからこそ家族のありがたみを実感しました。
今まで子育てで自分の時間の大半を失い、何のためにここまで...と悩む日々でしたが今はその子供達のお陰で毎日過ごせているような気がします。
「じいちゃんに、かとりせんこう(お線香)あげにいく~」という次女の存在が大きく見えます(笑)。
祭壇に蚊取り線香が乗っているところを想像してしまいました
仏壇のない我が家。次女は保育園の庭にぶら下がっている蚊取り線香と混同したようです
祝 魔の二歳児卒業 [育児]
前回の記事にコメントを下さった皆様、本当にありがとうございました。
なかなかコメントしづらい内容だったにも関わらず、励ましのお言葉をいただけて本当に嬉しかったです。
さて、我が家で以前からやりたい放題の次女が、先月めでたく三歳の誕生日を迎えました
よく「魔の二歳児」といって、二歳の子供はとにかく大変というイメージがついて離れませんが次女も例に漏れず大変な一年でございました…
まだ言葉が流暢になっていないうちから、「アイスクリーム」と「チョコレート」だけは素晴らしい発音
口癖は「おかてぃ(お菓子)」と、「(次女)ちゃんば~」(はになぜか濁点がついています)。
そして、身体は決して標準の大きさではないのにほっぺがぷっくりしているせいで「大きいのね~」と周囲に誤解を与え続けています。
お菓子ばかり食べ続けているせいか、メタボ体型…じゃなかった幼児体型です
一度言い出すと聞かないので、周りはとっても大変でしたが「これは駄目だよ」というと「おおきくなったら(いいの)?」とあっさり引き下がることもあったりします。
前は「やったい~(やりたい、の意)」と大騒ぎしていましたが。
次女は、ベビースイミングから先日親離れを果たし幼児クラスへと編入しました
ひとりで入ることに抵抗があったようですが水には慣れています。
しかし…
長女と違って気分にムラのある次女。先生の指示に従いません
ガラス張りの保護者席から見ていると、皆先生の指示のとおりにいろいろやっているのですが、次女だけが首を振って拒否するんですよ。由々しき事態です
心配していると、ちょうど時間が半分くらい過ぎたところでノリノリに…潜らなくていいところで潜り、早くやりたい一心で列飛び越してるし…飛び越してしまった子のお母さんにひたすら謝る私です
試験も一度あったのですが、どうやら三秒顔を水につけるというお題。
皆言われたとおりに顔付けをやっているその横で、大胆にもザバッと頭から潜り一瞬で顔を出してしまった次女。
先生から「もういちど」と優しく諭されてもお得意の「嫌だ」で終わってしまう始末。
長女と同じスイミングなので、先生も顔見知りの方なのですが…先が思いやられます
そういえば、こんなこともありました。
運動会、親子競技です。
親子でリレーをし、二組で競うのですが親が後ろを走るため子供がちゃんと走らないと競技が成り立ちません。
気分にムラがあり、自由奔放に生きている次女にそんな大役?がつとまるのだろうか。母の心配は最高潮に達していました
当日の朝、心配な私は夫に「次女の親子競技、大丈夫かなあ」と何気なく話してみました。
すると夫はあっさり「次女だって人間なんだから大丈夫だろう」との答えが。
その直後です。「ガオー」という雄叫びとともに私達の間を通り抜けていく次女。
夫のフォローを見事に打ち消してくれる、次女の言動でしたどうも保育園で怪獣ごっこが流行っていたようです。
ところが、本番はとてもすごい勢いで飛び出した次女。しかも相手チームを抜かす快挙
この子の行動は本当にいつも予測がつきません。
ある意味リスキーな人間です。
そんな次女、最近はこんな番組に夢中です
ここに出てくるお兄ちゃんの中に、次女の大好きな男の子が存在するようで…
「(次女)ちゃんのお兄ちゃん~」とすっかり自分のものだと思い込んでます
…というか、まだ三歳になったばかりですよ
舌足らずな次女に、好きな男の子が…夫はショックを受けています
そして、今日も「おにいちゃん」と「おかてぃ」が口癖になっている次女。
そうでした。「魔の二歳児」の後には、「悪魔の三歳児」が待っていたのです
あと一年で、少しは成長してくれるでしょうか。
しっかりしていた長女と違って未知数な行動ばかり巻き起こす次女。その後に乞う、ご期待です
(誰も期待なんてしてないって…)
なかなかコメントしづらい内容だったにも関わらず、励ましのお言葉をいただけて本当に嬉しかったです。
さて、我が家で以前からやりたい放題の次女が、先月めでたく三歳の誕生日を迎えました
よく「魔の二歳児」といって、二歳の子供はとにかく大変というイメージがついて離れませんが次女も例に漏れず大変な一年でございました…
まだ言葉が流暢になっていないうちから、「アイスクリーム」と「チョコレート」だけは素晴らしい発音
口癖は「おかてぃ(お菓子)」と、「(次女)ちゃんば~」(はになぜか濁点がついています)。
そして、身体は決して標準の大きさではないのにほっぺがぷっくりしているせいで「大きいのね~」と周囲に誤解を与え続けています。
お菓子ばかり食べ続けているせいか、メタボ体型…じゃなかった幼児体型です
一度言い出すと聞かないので、周りはとっても大変でしたが「これは駄目だよ」というと「おおきくなったら(いいの)?」とあっさり引き下がることもあったりします。
前は「やったい~(やりたい、の意)」と大騒ぎしていましたが。
次女は、ベビースイミングから先日親離れを果たし幼児クラスへと編入しました
ひとりで入ることに抵抗があったようですが水には慣れています。
しかし…
長女と違って気分にムラのある次女。先生の指示に従いません
ガラス張りの保護者席から見ていると、皆先生の指示のとおりにいろいろやっているのですが、次女だけが首を振って拒否するんですよ。由々しき事態です
心配していると、ちょうど時間が半分くらい過ぎたところでノリノリに…潜らなくていいところで潜り、早くやりたい一心で列飛び越してるし…飛び越してしまった子のお母さんにひたすら謝る私です
試験も一度あったのですが、どうやら三秒顔を水につけるというお題。
皆言われたとおりに顔付けをやっているその横で、大胆にもザバッと頭から潜り一瞬で顔を出してしまった次女。
先生から「もういちど」と優しく諭されてもお得意の「嫌だ」で終わってしまう始末。
長女と同じスイミングなので、先生も顔見知りの方なのですが…先が思いやられます
そういえば、こんなこともありました。
運動会、親子競技です。
親子でリレーをし、二組で競うのですが親が後ろを走るため子供がちゃんと走らないと競技が成り立ちません。
気分にムラがあり、自由奔放に生きている次女にそんな大役?がつとまるのだろうか。母の心配は最高潮に達していました
当日の朝、心配な私は夫に「次女の親子競技、大丈夫かなあ」と何気なく話してみました。
すると夫はあっさり「次女だって人間なんだから大丈夫だろう」との答えが。
その直後です。「ガオー」という雄叫びとともに私達の間を通り抜けていく次女。
夫のフォローを見事に打ち消してくれる、次女の言動でしたどうも保育園で怪獣ごっこが流行っていたようです。
ところが、本番はとてもすごい勢いで飛び出した次女。しかも相手チームを抜かす快挙
この子の行動は本当にいつも予測がつきません。
ある意味リスキーな人間です。
そんな次女、最近はこんな番組に夢中です
ここに出てくるお兄ちゃんの中に、次女の大好きな男の子が存在するようで…
「(次女)ちゃんのお兄ちゃん~」とすっかり自分のものだと思い込んでます
…というか、まだ三歳になったばかりですよ
舌足らずな次女に、好きな男の子が…夫はショックを受けています
そして、今日も「おにいちゃん」と「おかてぃ」が口癖になっている次女。
そうでした。「魔の二歳児」の後には、「悪魔の三歳児」が待っていたのです
あと一年で、少しは成長してくれるでしょうか。
しっかりしていた長女と違って未知数な行動ばかり巻き起こす次女。その後に乞う、ご期待です
(誰も期待なんてしてないって…)
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