長崎の思い出 [日記]
相変わらずバタバタした毎日を送っていた我が家。
今年の夏は節電を徹底するとのことで、いつにない暑さを感じた毎日でした。
電気のありがたみや、日頃当たり前だと思っていたことが実はそうではなかったことを改めて感じ、仕事が大変だとか、育児が大変なんてことは全然小さなことなんだ…」と目の前のことに振り回される自分にちょっと反省です。
夏休みは事情があって遠出の出来ない我が家にも、ちょっと遅い夏休みがやって来ました。
今年も旅行に行ってきました。
長崎です
娘達に、自分が生まれ育った国でかつてどんなことが起こったのか、
戦争や原爆の恐ろしさを教えてあげたいとの気持ちで、4年前の沖縄、昨年の広島に続き3回目の旅行先になります。
ただ、今回の福島第一原発の事故で次女はともかく長女はその怖さが少しは分かってきたようです。
今回の楽しみは軍艦島
ネットで偶然知って以来、一度はこの目で見たいと思っていました。
ところが、旅行から10日ほど前に長女が発熱
何年ぶりだったでしょうか。
プールで鍛えてなかなか体調を崩すことのなかった娘が、39度前後の熱で5日間。歩けなくなっていました。
やっとレントゲン、血液検査で 「マイコプラズマ肺炎」との診断が
そりゃ熱も下がりませんよ…。
最初は炎天下で運動会の練習をしたからでしょう、なんて熱中症の診断だったのですから…
飛行機もキャンセル不可能な中、長崎には「どうしても行きたかった」娘の気合が入りました。
何とか前日に完治の診断
無事飛行機に乗れました。
平和祈念像
路面電車
路面電車は珍しくて、乗りまくってました。
出島、グラバー園、中華街などにも行きました。
眼鏡橋
降りてみたら、本当に眼鏡に見える
ハートの石を探し、娘が大喜びでした
長崎の夜景は、日本三大夜景の一つだそうですね。
夜景の見えるホテルに泊まり、本当に眠るのが惜しくてずっと窓から外を眺めていました…
長崎は、話には聞いていましたがとにかく坂が多くて大変です
地元の方に、あの坂の頂上に住んでいる方はどうやって毎日のぼるのかという素朴な疑問に、
「原付が多いですね~。長崎の原付のナンバーは5桁なんですよ~。」
と教えていただきました
それからちゃんぽん、ミルクセーキ(長崎のは皆シャーベット状と初めて知りました)、トルコライスなるものをいただきました。
そうそう、お刺身が美味しかったです~
内陸に住む私はなかなか新鮮なお刺身にはめぐり合えないのですが、新鮮なものをいただくことができました
さて、最終日の軍艦島ツアー。
台風が沖縄付近を迷走していまして、たどり着けるか微妙とのこと。
(船が出れば大丈夫かと思っていましたが、周辺の波の様子によって上陸できないこともあると言われました。)
私が今回お世話になったのは、こちらの船。
元々軍艦島にお住まいになっていた方がガイドをしてくださり、島の方が炭鉱でとても危険な仕事をなさっていたこと、どうやって島で生活をしていたか、最終的には国の政策転換で島を追われてしまい故郷を奪われた悲しみを詳細に語ってくださいました。
島には無事上陸。夏は台風が多いので上陸できる確率は60%だそうです。
そうそう簡単に来られる場所ではなかったので、本当に運がよかったです
しかしその喜びとは裏腹に、島には古くなった建物がかろうじて建っているという状況でした。
「軍艦島で起こったことは、今回の福島の方に起こったこととと重なる」というガイドさんの説明に言葉を失ってしまった私。
閉山になって今年でもう37年。
ずっと無人島のままでしたが、上陸が許可されて2年の間に20万人の方が訪れているそうです。
活気に溢れていた町に、人がいなくなるとこんなになってしまうのか…と切ない気持ちでいっぱいになりました。
まだ小さい娘達には、どう写っていたのでしょうか。
必死で目に焼き付けて、帰路につきました。
翌日から仕事、学校、保育園・・・(しかも2週連続運動会というのはつらかったですが未だに体調がすぐれません)もうこんな日程びっしりの旅行は無理かも
ただ、小さい子を連れての旅行はとても疲れますが、非日常を味わえるのが好きです。
行きは朝5時前に家を出て、二泊して夜は10時に帰宅・・・やっぱりきつかったかな
しかも、長崎滞在中にずっと沖縄付近を迷走していた台風、私達が関東へ戻るとそれを待っていたかのように速度を急に速め、関東直撃
電車は止まってしまうし、何てことでしょうか
最近の次女、相変わらず笑わせてくれます
「からあげ、(次女ちゃん)いきたいの~」←カラオケです。
「しらんぷりんしてね」(←知らんぷり)
「わたあげかってぇ~」( ←わたあめの間違いです)
長女はもっと笑えました
少し前にやっていた、某保険会社ア○ラックのCMを見て非常にお怒りの様子
「僕には 夢がある 希望がある そして ‘寿命がある~’」と歌ってるんだよ
酷いと思わないと。
・・・それはね、寿命じゃなくて、「持病」ですよ
そんな長女でしたが、公文で三年先を達成
オブジェをいただいてきました
国語と英語。
ここに、とっくにやめてしまった算数もあったらよかったのにね…とため息のハハでした
東日本大震災とその後。 [日記]
東北から離れた場所にある関東の我が家も、混乱しました。
私と夫はそれぞれの職場で勤務中。
長女は学校で下校寸前の時刻。
次女は保育園でちょうど午睡から目覚めるころだったといいます。
とにかく私の仕事は一年で一番の繁忙期で、仕事をこなすので精一杯という瞬間に起きました。
最初は揺れてる??というくらいだったのが、
どんどんひどくなり、長い長い揺れで座っていることができなくなりました。
その後、携帯でチェックした同僚から、
「宮城県、震度7!」との言葉。
親戚が仙台にたくさんいます。
自分が誕生した地で尋常ではないことが起きている。
親戚の無事と家族の無事が心配になった私は、こなしてもなくならない仕事に集中できないくらい取り乱していました。
それから何度も大きな揺れが続きます。
夫の携帯、母が来てくれている筈の自宅に電話をしても、一向につながりません。
不安のまま食堂のテレビを見に行くと、東北を襲う津波の映像が流れていました。
綺麗に整地された畑、家々を容赦なく襲う津波。
自然の力の下では、人間は本当になすすべがないものだということを思い知らされました。
それからどれくらいたったでしょうか。
何度もかけ続けた固定電話で、やっと母につながりました。
長女はいつもより遅くなりながらも、無事家に着いたこと。
家は多少食器が割れてしまったが、大きな被害もなく無事でいること。
「今日のくもんはどうするの~」と聞いてくる長女の声に安堵した私は、苦笑いをしながらも
「今日はいかなくていいから、家でおとなしくして待ってて。」と電話を切りました。
4時ごろには、保育園への連絡もつきました。
「出来るだけ早く迎えに来てください。」とのことでした。
夫ともメールがつながり無事を確認。
しかし急いで保育園にかけつけなければならない私に問題勃発!
電車が動いていませんでした。
タクシー乗り場もすごい行列。
諦めて、電車&徒歩で1時間かかる道を、パンプスを履きながら歩き出しました。
途中で運動靴を買おうと、店に入ろうとしましたが、地震の影響で臨時休業。
歩くしかないか・・・と1時間ほど歩いたときでした。
通り沿いに、自転車店を発見
「26インチ、ギアつき」という条件で無事自転車をゲット。
さっそく走り出します。
しかし距離が距離だけにつらい…アップダウンの多い道を何度もリタイアしそうになりながら、20㌔の道を飛ばしました。
保育園についたのは夜の7時ごろ。
娘に会えたことで本当にほっとしましたが、すでに足は筋肉痛で。
近所も停電していて、真っ暗な場所が数多くありました。
「帰宅難民」というものを、まさか自分が経験してしまうとは思いもしませんでした。
夫は5時間半かけて、歩いて帰ってきました。
私が「子供たちは私に任せて、どこかで休んでいて」というメールを何度も送っていたのですが、届かず歩き出してしまっていたのです。
電話は最後までつながらないし、メールはそんな感じだし、ソ○トバンクは・・・
その後、ニュースを見ていると、津波の被害、原発の被害など次々に明らかになってきました。
亡くなられた方、大きな被害を受けられた方が沢山いらっしゃって、本当に言葉がみつかりません。
仙台の親戚は3日後に全員の無事を確認できましたが、やはり生活は大変なようでした。
計画停電の実施、頻繁に起きる余震、満足に食材が手に入らない中で急な保育園の弁当持参と、3月は本当に必死でした。
長女も落ち着いて勉強、という雰囲気でもありませんでした。
次女も地震が怖くて先に一人で寝ることができなくなってしまいました。
親がこんなに慌てているのですから、無理もないことだと思います。
こんな状況で娘に不安を与えてしまう私は、母親としてまだまだ未熟です。
そんな風に毎日を送っている私のもとに、もうひとつ悲しい知らせが届きました。
一緒に研修生活を送った、同い年の友人が病気で亡くなってしまいました。
去年の秋、検査の数値が悪いと緊急入院。
きっと良くなると信じていたのに、あまりにも急でした。
彼の分まで、私も後悔しない人生を送ろうと思います。
そして震災以来、まとまった休みがとれたGW
マジックショーに誘われ、行ってきました。
久しぶりに笑った気がします。
娘がマジックのお手伝いをして、いただいてきたバルーンアート。
(ただ箱を持っていただけですが・・・)
いつも、どんなときも娘たちには不安を与えない母であり続けたい。
そう思ったこの春の出来事でした。
上の子の役員ももうすぐ卒業です [日記]
仕事や役員や子供の習い事に振り回され続けた一年でしたが
春から長女も小学校三年生、次女は年中です。
この一年は、本当に目の回る忙しさでした。
うっかり学校と子ども会の役員を掛け持ちしてしまい、本当に土日のない日々…
学校の役員はそれほど大変ではなかったけれど、子ども会が
先日、二回の役員経験者に言われた言葉。
「一度やると、二度とやりたくないと思うでしょ」
・・・まさにそのとおりでした。
次女がいるのであと一回、近所に子どもが少なければもう一回かもしれない・・・
最近長女がはまっているのがキッザニア。
親は付き合って行くだけでへとへとになってしまうのですが子供にとっては魅力らしいです
ファッションモデルになってみたり・・・
救急隊になって窓を修理してみたり
スイミングは相変わらず続けています。
50mのタイムを縮めるのに必死ですが、いつまで続くんだろう・・・
というか、全て合格出来る日は来るのでしょうか。
あとは二回目のピアノの発表会もありました。
「トルコ行進曲を弾きたい」といって、先生を困らせていたっけ。
身長も130㎝を突破し、私が追い越される日はそう遠くないかも。
次女は相変わらずですが、だいぶしっかりしてきました。
秋に保育園で「芋煮会」があったのですが、その前日。
「ママ~ あしたほーくえんでいもほりがあるから、しゃべるとばけつもってくの~ わすれないでね 」
(私と長女)「えいもほりは年中以上だよね? 行事予定を見ると明日は芋煮会だから、掘らないよ。いらないよ。しかもバケツなんてないし」
「おいもほって、つくってたべるんだよ。もってくの~」
と譲りません。
仕方なく保育園に確認の電話ですよ・・・
園での様子を聞くと、いもほりと間違えた子がいて、「いもほりはバケツとシャベルが必要だよね」と話したのでそこを混同したのではないかとのこと。
先生、うちの子は混乱するのでいもほりでないことだけ伝えてください・・・
親の言うことは信じず、先生の言うことは絶対で聞き漏らすまいと必死な次女です。
時々誤変換しますが。
先生にも、「言葉だけで伝えても、お母さんの話を聞くとちゃんとおうちで話せているんですね~しっかりしてきましたねえ」と。
でもまだまだ誤変換は続きます。
身長、体重を書いた成長の記録。
毎回数値を確認して、印鑑を押し園に戻していたのですが、最後の記録が書かれたものをもらってきた次女。
印鑑の欄は当然最後なので返す必要もなく斜線が引かれています。
なのにです。
「はんこおしてほーくえんにもっていくようにせんせいにいわれたから、次女ちゃん押してもってくね~」
いくら必要ないと言っても聞かない頑固な次女(頑固さは長女譲り・・・)。
逆らう元気もないので、斜線の上にはんこを押して、先生に説明してもらいます。
本当に、先生の言うことだけは、聞くんです。
・・・困ったものです。
春になれば役員もとりあえず終了。
少しは時間の余裕もできるかな・・・ブログも更新できるかな・・・なんて思っています
~追記~
次女の名誉のために記しておきます。
再提出はいらないと思っていた成長の記録ですが、先生から提出するように言われたのは本当だったようです
先生は、一度渡したあと、園で記録をとっておきたいと思ったとのこと。
やはり先生に、「次女ちゃんはすごい~」と再びほめられ・・・。
「本当だったんだね、ごめんね」と謝る私に・・・
「だからいるっていったじゃん」と妙に乾いた返事が返ってきました
いやいや、こんな次女でしたが親も知らないうちに進化を遂げているようです
夏の思い出♪ [日記]
今年もあと4か月を切ってしまいました。
年をとると時間が早く感じられるといいますが、年々実感しています
この間、家族皆元気に暮らしていました。(細かいことはいろいろありますが)
学校の役員も、子ども会の役員も相変わらずです。
子ども会にいたっては、行事が終わってから「お疲れ様~」と役員同士で食事に行ったりと、
忙しく、また人間関係など大変ではありますが気の合う仲間を見つけ楽しくやっています。
そんな中、たった3日の夏休みにちょっとお出かけをしてきました
新宿駅にて・・・
こんな電車を発見
というのも、カメラを持った沢山の人が撮影しています。
鉄道が大好きな方たちのようです。
「なんだろう もしかして、珍しい電車なのかな 」
と我々も撮った後近づいてみると何だかちょっとレトロな感じ・・・
もしかして、古い電車なのかねえ?
と話していたら、それが私達の乗る電車でした
確かに古そうでしたが、乗り心地はよかったですよ
もう8歳と3歳になった二人の娘達。
あと何回家族で出かけられるのかな
そのうち、一緒に出かけるのも嫌だと言い出すのかな
長女は、今回乗馬をしてきました。
その辺を一周してくるだけですが・・・
ここで朝とれたばかりの牛乳も飲んできました。
美味しかったです。
毎日様々なことがあります。
子どものこと、仕事のこと・・・
本当に毎日がいっぱいいっぱい。
そんな中、ほんのちょっとだけ、気分転換ができた様な気がします。
フィギュアスケート選手の井上怜奈さんという方がいます。
私は彼女がシングルでオリンピックに出た時からテレビで見ていたのですが(かれこれ15年も前)
いつの間にかアメリカ代表でペアの選手としてスケートを続けていたのですね。
しばらく見なくなっていた間に、お父さんを癌で亡くされ、
自分自身も癌にかかり、アメリカで闘病。
アメリカではアルバイトをしながら練習を続けていたそうです。
ペアのパートナーで恋人だったボルドウィン氏にオリンピックを経験させてあげたいからと
アメリカ国籍を取得、トリノオリンピックへ出場。
史上初のスロートリプルアクセルを成功させました。
少し前、CMに出ていた彼女は
「いいときも、悪いときも、人生を楽しんでいたいです」
そう話していました。
私もそうありたいな、と思います。
これがなかなか難しいのですが
父との別れ [日記]
お陰でログインできず、パスワードを再発行してもらう羽目に…
この夏以降、娘達の習い事を増やした私は今まで以上に疲れきっていました。
そんなに予定を入れなければ済む話なのですが、自分の限界を省みずに私は朝7時に次女を保育園に預け、
仕事に出かけた後夕方は子供達を迎えに行き、その後は習い事の送迎…という毎日を送っていました。
夫も平日の帰りが遅く、普段は独りで育児を背負っていました。
そんな生活を続けているある日、私の体に異常が見つかりました。
仕事を少しお休みして通院治療を続けようとしていた矢先、ずっと入院していた父の容態が悪化したとの連絡が。
全てを投げ出して病院へとタクシーを走らせましたが、父はたった一人で旅立ってしまった後でした。
父と最後に会ったのは、亡くなるおよそ1か月前。
寝たきりで、もう食事も取れない状態でした。
その父は、私だと分かると手を握り離さず私のことを見つめています。
そんなに痩せてしまっているのに、どこからそんな力が出てくるのだろう、そんな握り方でした。
面会時間が終わりに近づくと、母がその手を離しました。
ずっと一緒にいたかったのですが、「また来るからね!」との言葉を残し、その場を去りました。
お父さん、また来ると言ったのに、約束が守れなくて本当にごめんね。
なかなか病院に行けない私は翌週も会いに行こうとしましたが、風邪を引いて行けなかったのです。
父がこの世からいなくなったという事実を受け入れようとする自分と、受け入れられない自分。
肉親を初めて亡くした私はまるで自分の身体の一部分がなくなってしまったようでした。
「お父さん」と呼べる人が、いなくなってしまいました。
そして父のことが大好きだった長女に、この事実を伝えることがとても大変でつらいものでした。
長女に祖父が亡くなったことを知らせると、泣き崩れてしまいました。
娘はたった7歳。あまりにもつらい別れです。
そんな父は、亡くなる直前に私のもとに来てくれていました。
最後のお見舞いに行った直後、元気だった頃の姿で笑顔を浮かべながら夢に現れた父。
「たとえどんなことがあっても、父さんはずっとお前の味方だからな。」
とても父らしい言葉でした。
父からの最後の言葉として、心に刻み込んで生きて行こうと思います。
季節は冬。
紅葉がとても綺麗です。
昨年の今頃は、一年後にこんなことになっているとは思いもしませんでした。
そして、4年前に父と仙台の紅葉を見たのが最後の旅行になってしまったことも。
いつまでも私がこうして悲しんでいても、父はきっと喜ばないでしょう。
母を残して逝くこと、そしてかわいがっていた孫を残して逝くこと…さぞかし無念だったことと思います。
私にできることは、母を大切にすることと娘達を精一杯育てること。
それが一番の父への供養になると信じています。
最近の私♪ [日記]
でも前回よりは大分落ち着いているかと思われる私。
最近はDVDにはまり、夜な夜な見ている毎日…もうツタヤの常連客です
子供が小さいのでなかなか出かけることも出来ず、娯楽はこれくらいのものです。
そして、全ての始まりはこれでした。
ここに出てくる「マシ・オカ」の「ヤッター」のセリフ、ここに描かれる日本のあまりにもおかしすぎる景色、変な日本語…
もう全てが私にとっては斬新でした。早くシーズン2も見たいです
その次はこれ
デスパレートな妻たち シーズン1 DVD Complete Box
- 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
- メディア: DVD
いわゆるご近所さんのお付き合い?をめぐる話なのですが、これがまた面白い、というかおかしいんです。
調子に乗った私。「大人借り」でシーズン3まで見ちゃいました。
そして最後。会社の後輩に薦められて見たのですが…
主役のマイケル(ウエントワース・ミラー)かっこよすぎです
また24よりも人気が高いらしく見ていても息つく間も無いくらい。一番はまったかもしれません。
シーズン3の途中までレンタルされていて、これも全て見てしまいました。
とまあ、家事、育児、仕事を適当に(←いや、ひいひいいいながら)こなし、DVD達がそのストレス解消になってくれたわけですが一番嬉しいのが、生の英語が聞けること
実は、私が幼稚園の頃将来なりたいと思っていた職業がスチュワーデス(よくこんな仕事知っていたと…)で、
その理由が英語が話せるからという小さい頃からとてもインターナショナル感覚でいっぱいだった私。
結局夢は破れ、全く違う仕事に就いていますが…。
ところが長女が英語を習い始め、児童英検とやらを先日受けてきたんです。
そこの外国人先生と片言の英会話をするにつれ、昔の夢が盛り上がってきました(笑)
その後の私はアルクの「ヒアリングマラソン」まで始めてしまいました(ここで言ってしまったからにはやり遂げないと…汗)。
本当は1000時間をやりたかったけれど、ダンナの必死の説得により中級から。
ダンナは長女と同じように英会話学校に通った方がいい!と薦めてくれるのですが、時間を考えるとまだ通信講座で精一杯です。
あとは、NHKのラジオ講座かなあと。
いつまで続くか分かりませんが、生活に支障が出ない程度に自分の意欲が続く限り、頑張ろうと思います。
最近の長女、ピアノは相変わらず低空飛行ですが、プールは頑張っています。
メドレーのタイムを縮めるのに必死です
長女に負けないように、母も頑張りま~す
ご無沙汰していました [日記]
桜が満開になってから、(前の記事)もう二ヶ月も過ぎてしまったのですね。
小学校に入学した長女も先日7歳の誕生日を迎えました。
…ということは、7年も母親やっているってことですね。
年も取るわけです。
何をするのにも、限度を知らずに無理に無理を重ねる私。
長女の習い事も週二回の水泳、英語、それからピアノと体操と膨大な量になっていきました。
(もちろんピアノ以外は本人も楽しくやっていますが…)
時短でやりくりして習いごとの送迎をやっていますが、冷静に考えると許容量を超えています。
毎日、終業とともにダッシュして電車を4本乗り継ぎ、娘のもとへと向かっていました。
それから、通信講座も始めたりして。
学校からの宿題も出始めたので、そちらも大変…
娘の通う小学校には通学班があって、近所の子供達が集まって登校するのですが、その集合時間が遅いがために
(さすがに娘に鍵を頼むのはまだ怖いです)出勤を30分遅らせました。
また、給食開始までのほぼ1月、お弁当を作り続けました。
送迎は保育園と学童の二か所になりました。
次女は「魔の二歳児」真っ盛りです。
私の住んでいる地域の学童は、春休みなど学校のない時には8時半を過ぎないと預かってくれません。
それでどうやってフルタイムの仕事を続けられるのでしょうか。
学校の前で8時半前に子供を待たせるのも駄目だそうです。
夕方は6時までに迎えに行かなければなりません。
仕事は、子供を二人持つ身で雇ってくれるだけでありがたいと思わなければいけないのですが、
毎日のように起こるクレーム処理、とてもマイペースでこちらが尻拭いをしなければならないことを平気でやってくれる後輩、それからサイコパス上司…。
時短を取っているためフォローしようにも残業も出来ず溜まる一方の仕事。
時間内にフル稼働すると家に帰ってからの体力が残っていません。
夫の帰りが遅いので、平日はひとりでこなさなければならない日々。
一番大変なのがお風呂です。
娘達と三人で入ると、ふざけだします。
長女は洗う手を止めて語り始めます。
怒る元気もなくうなだれていると、喧嘩が始まっています。
こんな二ヶ月でした。
きっと私と同じ状況、あるいはそれよりも大変な状況でも頑張れる人って世の中に沢山いるのに、何で頑張れないんだろう、と自分を責め続ける毎日でした。
そんなある日、二週間ほど前に次女が発熱でダウン。今もまだ完治していないのですが、結果として家族全員にうつってしまいました。
子供も小さいので、自分のために使える有給は殆どなく自らの体調は後回し。
私も37.5度の発熱でボーっとしたまま仕事を続けていたのですがそこへ小学校から長女の発熱コール。
その時でしょうか。なんだか私の中にあったものがはじけてしまったような気がしました。
今までは頑張ってこなしてきていたはずなのに、大好きな本を読むことさえ苦痛になるように…。
先週行きつけの肩こりマッサージをしてくれる先生にも言われてしまいました。
「なんでそんなに必死に働いてるの。少しは休めばいいのに」
「今が一番つらい時期」、皆そう言います。
でもそれを乗り越えられるか不安になってきてしまいました。
仕事についても、通勤時間をそこまでかけて働きにいかなければならないのかと。
もっと違う生き方があるのではないかと。
久しぶりの更新なのに、なんだか暗い記事になってしまいました。
こうやって年をこれからもとっていくのでしょうか。
もう随分前になりますが、出勤途中にチューリップが咲いていました。
嬉しくて思わず撮ってしまいましたが数日後、無残にも花が切られていました。
前橋で起きた大量にチューリップが切られてしまった事件が報道された直後です。模倣犯でしょうか。
残念でなりません。
今度はもっと明るい記事がかけますように…
桜が満開です [日記]
ことしもまたこの季節がやってきたんだね。
昨日は子供達の習い事も無かったので、ゆっくり耳鼻科へ…。
ここのところ、花粉症が急速に悪化してきていたんです。
かれこれ人生の半数以上を花粉症に悩まされる私。
久しぶりに自転車に乗ったら、綺麗な桜をたくさん見ることができました。
こんなに早く咲いちゃったら、入学式には散ってしまうんだろうなあという余計な心配をする私です
長女は明日で保育園も終わり、明後日からは学童に通います。
お弁当を22日までつくらないといけないとか…。
朝の弱い私でもなんとかなるものなのでしょうか。
迎えも、保育園と学童の二か所になるので大変です。
習い事も、ピアノ、水泳、体操、英語と大変な数になってきています。
土曜日に全然休めないのもつらいものです
バタフライを練習していた長女、年長では身体の大きさでかなりのハンディがあると先生に言われていました。
毎月の試験も一度は落ちてしまい、「どうにかならないものか…」と思ったものです。
あの手の動きがどうしても上手くできなくて。
いつもは落ちたその場で泣いていた長女ですが、今回は家までじっと我慢。
家に帰ってきてから、ひとりで部屋にこもって泣いていました。
ちょっとは大人になったんだね。
以前は上手くいかないとすぐに辞めたいと言っていたのに、今は辞めたいとは決して言わなくなりました。
本当に強くなったんだよね。
そんな長女ですが、先日の試験では15mで合格しました。
いつも25m泳いでいるのに駄目だったけれど、今回はちゃんと先生にバタフライが出来ていると判断してもらえたようです。
そんな頑張りやの長女に比べ、「トリ頭」の次女。
先日保育園で「うんちでた~」と先生に言ったそうです。
先生が、「じゃあいつものように部屋に戻ってオムツとお尻ふきもっておいで」と言われ、元気に
「うん」と答えて部屋に消えていき…。
数分後、何ももたずに先生のところへ戻ったとか…。
部屋で何かに夢中になり、忘れてしまうらしいのですが、これを結局三回繰り返したらしいんです。
それを見ていた同じクラスのしっかりした女の子が
「しょうがないなあ~。じゃあかわりに持ってきてあげるよ」とお友達に手を借りる始末。
同じ姉妹でどうしてこんなにも違うのか…。
長女のいなくなった保育園で、次女は果たしてやっていけるのか、不安はつきません。
初めての沖縄旅行…その2 [日記]
しかしその1の続編を
書くことにしました
…ずっと書きたかったのですが、夫が…(と人のせいにする私)。
沖縄の友人に会うべく飛行機へ乗り込んだ私達。
初めての沖縄に張り切っていましたが、連絡を取れる唯一の手段であった携帯を忘れた私は焦っていました。
夫の携帯を借り、記憶をたどってアドレスを推測して送りつづけるも、全て届かず(涙)。
沖縄へ着いた私たちは当初の予定を変更して、彼女の住む団地を探しました。
しかし、悪いことは重なるもので着いたばかりの沖縄には台風が直撃します。
当然彼女の住所は覚えておらず、それでも部屋番号だけは覚えていたので、10棟ほどある団地をひとつひとつ見て回りました。
そして、容赦なく襲う激しい雨と風…
傘をさしても全身ずぶ濡れです。お土産まで雨でびっしょりです。
なのに、ないんです。彼女の家がないんです。
仕方なく104に電話をかけ、この団地の部屋に○○さんという家は無いかと尋ねると(こんなありえない質問をしてしまうくらい切羽詰っていた私…)あえなく「登録はありません」と冷たい返事が。
「もう、どうしたらいいの!?」と半泣きになる私。
関東に住む私達には想像もつかないくらい、沖縄の台風って凄いんですね。
まるで天気が私の落ち込みに追い討ちをかけるようでした。
悪天候に加え、彼女とも会えずとても観光どころではありません。
子供も疲れたというので、どうすることも出来ない私達は諦めてホテルに行くことにしました。
夜も、彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいであまり眠れずに過ごしました。
そして、その翌日。
この日は「美ら海水族館」へ行くことになっていました。
天気も徐々に回復していたので、とりあえず車で向かいながら、再び104へ。
昨日は休日でしたが、今日は平日。
彼女の会社の電話番号を調べ、連絡する作戦です。
もし出勤していたら、水族館の帰りに寄ろうかと思いながら…。
電話番号はすぐ分かり、連絡してみました。
電話に出た方に聞くと、「今日は休んでいます」とのこと。
もしかして、昨日私と会えなかったから(←いや、それはないだろう…)
事情を説明し、どうにかして連絡をとりたい旨を伝えると、携帯のメールアドレスを知っているので連絡してくれるとのこと。
夫の携帯番号を伝え、連絡を待ちました。
その間、娘と一緒にヒトデに触りながらも心ここにあらずの私…。
マンタを見るのを楽しみにここまでやって来たのに、A型の小心者の私は心配で心配でたまりませんでした。
と、その時です。着信が
やっと彼女と話が出来ました!
やはり私の携帯に連絡をしていてくれたらしく、返事がないのでおかしいと思って飛行機の到着状況まで調べてくれていたそうです(涙)。
ただ、お子さんの体調が悪かったそうで病院に行けるぎりぎりの時間まで、
私と連絡がとれればとずっと待っていてくれたとか…。
今日はお子さんを連れてかかりつけの病院に行ったそうで、それで会社を休んだとのことでした。
ひたすら謝る私に、「あなたのような律儀な人が、連絡をくれないことはないだろうから、きっと携帯忘れたんだろうね~とダンナと話してたんだよ~。元気そうでよかったよ~」と笑って許してくれました。
とてもおおらかな彼女の心の広さに感謝
病気のお子さんの所に押しかけることも出来ず、5年ぶりの再会は、まだまだおあずけとなりました…(汗)
会えなかったけれど、とりあえず彼女と話せたことで少し肩の荷が下りました。
沖縄滞在も半分を過ぎたところで、やっと観光も楽しめるように…
そして、初めて見るマンタ!ギネスに載るほどの大きな水槽は壮大です。が、平日にもかかわらず物凄い人、人、人…
こんな魚もいました。
気持ちよさそうに泳いでいます。
ずっと台風だったのに、彼女と話してから水族館を出ると、やっと天気が良くなってきました。
これがあの夢にまで見た、万座ビーチホテルです
帰る前日の夕方、やっと海水浴を楽しめた私達家族。
こんなに陽射しが弱いなら、私も水着持ってくればよかったな。
夫と長女が水着を着て、海に入りました。
砂浜で遊ぶ次女。
しばらく遊んでいましたが、この後自分も海に興味を持ち服を着たまま海へ突進します(笑)。
何だか慌しいままで初めての沖縄旅行は幕を閉じました。
日本とは思えないくらいの綺麗な海(殆どが台風で、帰りの飛行機から見た海が一番綺麗だった)を、また味わいたいと思うのです。
「今度はもうちょっとのんびり過ごしたいな」
「もう来なくていいよ~」と夫。
でも、ドライバーがいないと困るんだよね(笑)
帰りにモノレールに乗った時の、那覇市内の景色。
いつになるか分からないけれど、また行きたいな…と思いつつ、帰路につきました。
帰りの午前中ぐっすりだった次女は飛行機と空港からのバスで大ぐずり…それをなだめる私達はぐったり…
やはり子連れの旅行はハードルが高いものでした。
最近あったことなど、いろいろ [日記]
ブログを更新しようと思いつつ、毎日があっという間に過ぎていきました…。
昨年末は、自分のしたいように過ごしてしまったなあと反省の日々…
実は暮れに大阪まで行ってきました。フィギュアスケートを見に行かないとと勝手に思い込み、京都在住の友人を誘い全日本選手権へ…。
男子のフリー、女子のショートとフリーで計2日間、観戦してきました。
そして泊まったのはあの(笑)リッツ・カールトン。格安プランを見つけてきてくれた友人に感謝です。
入口です。部屋からの景色はこんな感じ。
遅くまで観戦していたため、ホテルには11時半頃に着きましたが友人と私は部屋の豪華さに子供のように大はしゃぎ…
職場の研修で知り合った同期の彼女とはもう10年来のお付き合い。
住む場所が離れているのでなかなか会えないのですが、この晩は明け方4時まで話していました。
翌日はホテルのモーニングを堪能しようね と言っていたのですが非常事態発生
朝、私だけ具合が悪くて起きられない…ご飯もとても食べられる状況ではありませんでした。
元気な友人が美味しそうに食べている目の前で食べるどころではない私。
症状はノロに似たもので(一年に何回かかっているのか…)その日の観戦も危ぶまれました。
前日まで仕事をしていて、体力が限界になっていたのでしょうか。
どうにか最後まで見て帰ってきましたが、自分の体力のなさを実感しました…
さて、年末に好き勝手していた私です。夫の実家に帰省しない訳にはいきません。
毛布にくるまれて新幹線に乗って帰ってきた翌日、また私は別の新幹線に乗っていました。
今年の冬は本当に寒いです。夫の実家ではおかゆ中心にしてもらって年を越し、どうにか過ごして帰ってきました。そして一日おいてまた仕事…
さすがにこれには堪えたのか、夫実家から帰ってきた私にはもう動く気力すら残されていませんでした。
育児と仕事と家事、それから趣味まで堪能するほど私の体力がなかったのか、もうスケートを楽しむ心すらなくなってしまっていたのか…
長女の習い事が増え、確かに今までよりも負担は増していたような気はします。
そしてこんなに情熱が薄れるとは思わず昨年のうちに先行予約でチケットを取ってしまっていたスターズオンアイス。アリーナ25000円也。あまりにもチケット代が高いので、誰も誘えませんでした。
というか、もっと安い席があったのですが…
元々はサーシャ・コーエンが見たくて取ったチケットでした。 しかしこんな気持ちで行っても…と思っていたら、ゲストの追加が…
なんと、私の憧れのスケーターが来ることに。
その名も エカテリーナ・ゴルデーワ。
もう二度と、生で見られるなんて思ってはいませんでした。
しかしあまりはしゃぎすぎると夫に悪いので(笑)おとなしく過ごし、そして体調を整えて見てきました。
当日。
彼女は「You raise me up」の1プロしか滑らなかったのですが、もうリンクに立っているのを見ているだけで涙がでてきた私。
旦那様になったグリンコフさんとペアを組み二度のオリンピックで金メダル。女の子に恵まれるもスケートの練習中にご主人が突然亡くなり未亡人となってしまいました。
気丈にもシングルスケーターとして復活。しばらくして再婚し、二人の女の子の母親になった彼女。
私はこのプログラムが大好きで、何度も見てしまいます。
そんな憧れの彼女が目の前にいるなんて…。
それで、気持ちの整理がついた気がします。私の中で彼女を超えるスケーターが出てくるまでは観戦を控えようかと。
体力的な問題もありますが、スケートにかける情熱の低下や子供にかかる時間も多くなってきたので生観戦はしばらくお休みです。
年が明けて…。
長女はプールを相変わらず頑張っています。今バタフライを練習中で、もう少しで四泳法完成です
そして、来月には保育園を卒園し、小学生になります。長いようであっという間でした。
次女は言葉も上手になりました。ただひとつ心配なのは足の経過が思わしくないこと…。
子供とかかわれる時間は思ったより残されていない。そう思い、今は子供達との時間を大切にすることにしました。
昨年まで、ブログを通していろいろな出会いができて、本当に皆様には感謝しています。
新年のご挨拶には遅すぎますが、今年もよろしくお願いします。